神のご計画と働きの一部
創世記12:1-5には、
“1 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
4 アブラムは、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。
5 アブラムは、妻のサライと甥のロト、また自分たちが蓄えたすべての財産と、ハランで得た人たちを伴って、カナンの地に向かって出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。”(2017)とあります。
献身者としての召命、宣教師としての召命に、この箇所の御言葉をかけられた方もいるかも知れません。
今日は、キリスト者全員に対するものとして捉えて考えてみたいと思います。
キリスト者は、それぞれ一人一人が、恵みによって、他のものから切り離されて、神の国へと入っていったのです(神の国へと入れて頂いたのです)。
これは、人の熱意や、意志や計画によるものではなく、神の計画であり神の業です(エペソ1:4.5、ヨハネ1:12、6:26)。
創世記12:1には、アブラム(後のアブラハム)に、ヤハウェ(主)が、「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」と命じた御言葉が記されていますが、ヤハウェ(主)がこのようにアブラムにお話になったのは、初めてではありませんでした。創世記には記されていませんが、聖霊に満たされて語ったステパノの証言によると、次のように記されています。
使徒7:3.4には、“3 『あなた〔アブラム(筆者挿入)〕の土地、あなたの親族を離れて、わたしが示す地へ行きなさい』と言われました。4 そこで、アブラハムはカルデア人の地を出て、ハランに住みました。そして父の死後、神はそこから彼を、今あなたがたが住んでいるこの地に移されました”とあります(2017)。
「カルデアのウル」というのは、考古学者たちの発掘によると、“古代メソポタミア南部の都市。現在のイラク南部、バグダード南東約350キロメートルにある遺跡で、テル・ムカイヤル(瀝青(れきせい)の丘)とよばれている。”(日本大百科全書のウルの項抜粋)場所ということです。
アブラムの出自については、創世記11章と1歴代誌1章に記されています。
アダムからアブラムまでの系図は、歴代誌(2017訳)の方の名前の表記を基にすると次のように記されています。
“アダム→セツ→エノシュ→ケナン→マハラルエル→ヤレデ→エノク(死ぬことなく天に移された人)→メトシェラ→レメク→ノア(箱舟を造ったノア)→セム→アルパクシャデ→シェラフ→エベル→ペレグ→レウ→セルグ→ナホル→テラ→アブラム(後のアブラハム)”とあります。
使徒7:2-4には、
“2 するとステパノは言った。「兄弟ならびに父である皆さん、聞いてください。私たちの父アブラハムがハランに住む以前、まだメソポタミアにいたとき、栄光の神が彼に現れ、
3 『あなたの土地、あなたの親族を離れて、わたしが示す地へ行きなさい』と言われました。
4 そこで、アブラハムはカルデア人の地を出て、ハランに住みました。そして父の死後、神はそこから彼を、今あなたがたが住んでいるこの地に移されました”(2017)とありますが、創世記11章にそのことは記されておらず、創世記11章の方は、
“31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子である孫のロトと、息子アブラムの妻である嫁のサライを伴い、カナンの地に行くために、一緒にカルデア人のウルを出発した。しかし、ハランまで来ると、彼らはそこに住んだ。32 テラの生涯は二百五年であった。テラはハランで死んだ。”(2017)と記されています。
そして、父の死後、再度、ヤハウェ(主)は、アブラムに、「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12:1・2017)と語られたのです。
アブラムは、神であるヤハウェ(主)から最低2回の声かけを頂いてカナンの地に入っていったのです。
アブラム(後のアブラハム)の最初は、信仰の父と呼ばれるようなものではなく、アブラムもまた、ヤハウェ(主)が時間をかけて信仰を成長させてくださったことを知るのです。イエス様を信じたからと言って一足飛びに信仰の人になるのではありません。主と共に歩もうと思いつつも、主に従えたり、従えなかったり、また悔い改めて主に従うというようなことを繰り返しながら、主に在って成長させて頂くのです。
成長させるのは神ですから(1コリント3:7)。
新生させて頂いた人達は、御父の子どもです(ヨハネ3:3.6、1ヨハネ3:1.2、1ペテロ1:3)。
御父は、根気よく、新生したキリスト者を成長させてくださるのです。
健全な成長を遂げるためには、栄養も必要です。
栄養を取る霊的食物は既に用意されています。
それは聖書です。
乳幼児の頃は、御言葉の乳(1コリント3:2、1ペテロ2:2)が必要です。
しかし、成長するにつれて堅い霊の食物も必要となります(ヘブル5:13-6:3)。
パウロはコリントの信徒たちに、「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」(1コリント11:1・新共同訳)と語りました。
しかし、乳幼児のだれもが、いきなりパウロのように、キリストを見倣うようになれるわけではありません。
ユダ書には、「しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。」(20節・2017)と記されています。
「聖霊によって祈りなさい」という箇所を直訳すると、「聖い霊の中で祈りなさい」となると思います。
聖霊{(真理の霊)ヨハネ14:17}は、聖書の執筆者に働いて聖書を書かせたのです(2テモテ3:16)。
御霊によって祈る(御霊の中で祈る)ときは、神が与えた下さった御言葉から外れることはないでしょう。肉に従って祈りましょう、という言葉は聖書の中にはありません。
また、みことばを悪魔悪霊のように悪用して用いる(一例として、マタイ4:6)ことの無いよう注意する必要があると思います。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
私たちがまだ存在する以前に、あなたのみ旨の中で、あなたの愛によって、ご計画が立てられていたというあなたの遠大なご計画性と実行力に驚嘆し、御名をほめたたえます。
イエス様がキリストであり、神のひとり子の御子であり、救い主であると、私たちが信じさせて頂けたのは、神の業であることを覚えます。
あなたは、私たちを新生させた後も、一人一人に応じて成長させてくださっておられますからありがとうございます。
三一の神様の御名がほめたたえられますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。