傭兵オドアケル

夜中に目が覚めた。

僕は目を開けて、とりあえず手元の時計を見た。3:30を指していた。
なんで目が覚めたのかは分からない。たしか寝たのは日付が変わるころだった。だから、あまり寝ていないことになる。
どうしてこんなに早く目が覚めてしまったのだろう。前の晩に食べたのが焼肉で、石焼ビビンバの前に頼んだのがニンニクのホイル焼きだったからかもしれない。さいきん血の気が多いからなのかもしれない。
いろいろなことが思い当たったが、どれも決定的ではなかった。

夢を見ていたかどうかは分からない。何か重要な暗示になるような物語を見ていたような気もするし、そうでもない気もした。見ていたような気がする。ちょっと気になった。

僕は何か思い出そうとしたが、すぐに遮られてしまった。何かが耳もとでなにかがやがや言っていたのだ。そのため、僕の注意は、さっきまで見ていた夢を再現する努力よりも、それが何なのかの識別のほうに奪われてしまった。
それが何なのかはすぐに分かった。MDプレイヤーのイヤホンだった。寝る前にMDをかけていて、スイッチを入れたまま寝てしまったのだ。寝ている間に耳からはずれてしまったらい。
耳からはずれたイヤホンは僕の枕のすぐ下のところに落ちていて、それががやがやと音を出していたのだった。よくあるパターンだった。

寝る前の時間にはそうでもなかったのだろうが、深夜に聞えるにしてはかなりうるさい音だった。
僕はちょっと落ち着かない気分にさせられて、いくぶん目が覚めてきた。僕は枕もとをまさぐり、手触りに記憶のある黒のコードを見つけると、その根元のほうと思しき引っ張りがいのあるほうの側を手繰りよせた。
ほどなくして、コードの途中にあるリモコン部分が手に触れられた。僕は、手がその位置を覚えている停止ボタンを押した。イヤホンは鳴るのをやめた。

やっとそれらしい深夜の静けさになった。
すると、まず、雨の音が聞えてきた。前の晩から降っていた雨がさらに強くなっていたらしい。7月の雨は、窓の外で車道を打ちつけていた。
窓の外はまだ暗かった。

そして、さっきからもうひとつ気になる音がしつづけていることに気がついた。机に置いてあるラップトップのハードディスクが回転する音だった。
それは、ウィルス駆除ソフトが僕のハードディスクを回転させている音だった。毎週、この曜日の深夜に勝手に起動し、ハードディスク内のすべてのファイルをチェックし、そしてまたパソコンの電源を落とす、そうスケジュールされているものだった。

まだ多少寝ぼけてている頭で、ハードディスクの回りつづけるその音を聞きながら、暗がりの中で、「これは何かに似ている」と思った。
少し考えると、それが何だか思い当たった。西ローマ帝国とゲルマン人傭兵の関係だった。


かつて、紀元前の地中海世界は、ギリシャ系とラテン系の民族の活躍の場であった。そこに、紀元前後あたりから、北方のゲルマン民族がライン川、ドナウ川地域に次第に居住するようになった。ローマ帝国初期のゲルマン人である。
これが、さらに4世紀から6世紀ごろになると、東方で勢力を拡大したフン族に追われてきた東ゴート族等が次々にローマ帝国に侵入してくる。有名な「ゲルマン民族の大移動」の一環である。

初期に移住してきたゲルマン人は、ローマ社会に同化していき、帝国は次第にゲルマン化されていった。小作人、手工業者、下級官吏になるものも多かったが、傭兵になるものはもっと圧倒的に多かったという。帝国末期には、ローマ軍のほとんどがゲルマン人の傭兵で占められるようになっていたらしい。皇帝権は次第に弱体化していき、しまいには、ゲルマン人傭兵出身の将軍が実権を握ってゲルマン人の侵入と戦うという事態になった。

帝国の東西への分割や多民族の勢力拡大等もあり都市は衰退していき、西ローマ帝国は、最後はゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより5世紀の終わりごろに滅ぼされてしまう。

参考「詳説世界史研究」(山川出版社)


部屋の片隅で異様に光りを放つモニターに表示される僕のパソコンの検閲進行状況を眺めつつ、僕のパソコンとウィルス駆除ソフトの関係は西ローマ帝国とゲルマン人の傭兵部隊のようなものではないか、と僕は思った。
そう思っている間にも、ディスクは聞きなれた回転音を発しつづけていた。

僕のローマ帝国の治安はいつのまにやらゲルマン人の傭兵に握られ、もはや、彼らなしでは外敵の侵入にも対処できないようになってしまっている。
ハードディスク内のファイルは残らず下級官吏に検閲されている。傭兵隊長は、半ば当然といった顔で定期的に外部と接触し、新たな傭兵たるセキュリティ対策のファイルを導き入れている。その決定権は、事実上彼が掌握している。報告書はいちおうは作られているが、誰も目を通してはいない。僕には彼の仕事を評価する術はないし、外の世界との交渉で本当のところ彼が何を交わしているのか、僕は知らない。ふと気がつくと、彼の部隊は僕の知らない間にすっかりそれまでと違う装いになっていることすらある。
その一方で、彼らのやりたいようにやらせている間、僕は自分の安全管理に何か新しい知識を得ているわけではない。あらかじめ交わした契約の更新期限が近づくと、傭兵隊長は「契約を更新する気はあるのか?」としつこく問いかけてくる。もし新たに金を払い契約を更新することがなければ、僕のパソコンはいずれ最新の技術を持った外敵に侵入され、すっかり荒らされてしまうことだろう。

選択肢は、ありそうでない。気がつくと、僕には傭兵に頼る以外に自分の世界を守る有力な手立てを失っている。


(まあ、よもや僕のパソコンがオドアケルに滅ぼされてしまうということはないだろうが)

そんな考え事をしているうちに、ウィルスチェックは終わった。ほどなくしてメッセージが表示された。

「感染は見つかりませんでした。」

いつものことだった。

簡単なレポートを表示させたまま、パソコンは動作をやめた。さっき動作中のパソコンに僕が触ったので、作業は終了したが、電源が落ちることもなかった。ハードディスクは止まってしまい、僕の部屋で聞えてくるのは、窓の外に降る雨の音だけとなった。
雨音は少し弱まったかもしれない。轍を跳ねる車の飛沫の音も時折聞えるてくるようになった。もう朝が近かった。

目が覚めてから、もう1時間近くが経っていた。空はもうだいぶ明るくなってきていて、7月に降る雨には、樹液や蒸散した葉の暖かい匂いが満ちていた。モニターには、作業終了のメッセージが表示されたままになっていた。

僕は、今考えていたことの続きを、もう一度電気を消して夢見心地で考えるべきか、それとも、このまま起きつづけて何か他のことをしながら考えるべきか、ちょっと考えた。

03/07/14


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