三島由紀夫「美徳のよろめき」

僕が読み通した三島由紀夫の作品は、実はこの「美徳のよろめき」がはじめてである。
大学生のときに「潮騒」に脱落し、その前だかあとだかには「金閣寺」でやはり脱落している。
今回も、課題図書でなければどこかで読むのを止めてしまったかもしれない。

「才能もあり気分的に安定している人が特別なテーマもなく自分の才能と技術を楽しく弄んだ遊戯」といったところが、この作品への印象である。
特別何も必要としない人が何も求めずに書けば、こういう作品になるのではないだろうか。
主人公「節子」もまた、作者のそういう状態を反映した人格であるように思う。

彼女の「道徳」のあり方にも目を惹かれる。
彼女の道徳は彼女自身の中で完結しており、そこには、社会性とか倫理性とかいったものは必須ではない。
必要なものは、彼女自身が知り、認めるところの美しさだけである。彼女の関知するところでなければ、その愛人である土屋でさえ重要な存在ではない。実際、物語の中心にあるのは一方的に節子の内情だけであり、外部の変化には自身に関係しない限り、たいした感心は払われていない。

作中ではおよそ2年間の時間が経過しているが、その間に作中人物にいったいどういう変化があったのか、僕には分からない。
そもそも「作中人物への感情移入」とか、「作中人物の変化」とかを期待して読むような作品ではないのだろう。
十分道徳的だと自ら確信する人には、共感を受けるとか、自ら変化していくといったことは最初から必要ない。もとより、彼女には、最初から解決できない矛盾は存在しないのだ。

合計二十節に分けられた小説だが、一本の小説というよりむしろ、特別重要でないモチーフを扱った一連のラフスケッチを見せられたような読後感であった。

03/07/30


このテキストは、 ある活字中毒患者の告白読書会企画 に向けて書いたものです。


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