三島由紀夫「宴のあと」

「美徳のよろめき」に続けて読んだ作品。これだけの中編にもかかわらず、一気に読みきってしまった。

「美徳のよろめき」に続き、話が動き出すまでの無駄のない進行に感嘆した。
それから、登場人物の感情の動き。並みの観察力ではない。表現力よりも、むしろそちらに驚かされる。
あと、なにをいまさらだろうが、道具の使い方、それを支える活用語いの桁が違う。
あれだけの道具を抱えて、普段何を思って暮らしていたのだか。中編2冊を読むばかりでは、想像すら叶わない。

料亭、政治、保守、革新、ということで、もっとドロドロした話であるかと思えば、あとがきにも指摘されていたが、上から下まで極悪人というような人間が出てくるわけではない。人は、乞われたように動くばかりである。
三島が見た人間にはそういうものはいなかったということなのか、彼の観察がそれだけ鋭いのか。

かづは泣けば自分に戻ってしまう。野口は終われば自分の志向する生活に戻ってしまう。
そうして、みな納まるところに収まってしまう。

彼が45で死んでしまったことはまったく惜しい。

話の中盤から終盤にかけての熱狂、個人を超越した流れの部分の運びに、開高健「パニック」を連想させられた。


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