有島武郎「一房の葡萄」

すべてが普遍的で、どうにもとりつくしまのない。
何度か読んだのだが、この話を書くのに不可欠なものが何なのか、結局わからなかった。

この手の道徳教材的話のつまらなさは、その普遍性にあるのだと思う。
どこにでもある、誰にでも言えるお話。パイナップルのかんづめのような話、冬にこたつで食べるみかんのような話、夏の田んぼの畝の間を抜けていく小さな水路のような話である。
デキの悪い語学教材の例文や会話想定シーンのようなものだ。すべてが同じように進行していき、登場人物の性格や特徴に何の感動もない。

どうせこの手の話を作るのならば、僕なら、少年だけには美しい自意識を維持させたまま、たとえばジムを浅黒い肌をした小太りで上目遣いに人を見て下品な笑いをするいつもつめの垢が汚い子供にしたり、教師には、白い手の髪の短い女性の代わりに、すぐに犬に石を投げつける酒くさい傷痍軍人を用意してみたりしたい。
それだけで、同じ展開を辿ったとしても、この物語はたちまち人間くさいものになり、各人の取る行動は、数段意義深いものとなるだろう。

その一方で、たいへん色彩鮮やかな話だとも感じた。小さな墨のような形をした舶来の藍や洋紅の絵具、女教師の白い手に乗る葡萄、海岸通りからみえる軍艦や万国旗。ひとつひとつはありきたりなのだが、配置が適切で、それなりに心地よい。この話の面白さは、場面場面の色どりにあるのだと思う。

テキストとしてより、何か感じるところがあるのであれば、絵として描きたくなる、そんな話だと思った。

03/09/03


このテキストは、 ある活字中毒患者の告白読書会企画 に向けて書いたものです。
底本は青空文庫


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