クスコ


目が覚めた。0:30だった。

早く、起きすぎだ、と思った。
ナースコールが2回あった。看護婦さんは一度は奥のベッドに行き、もうほかの一度は別のベッドに行った。あとのほうの看護婦さんは帰り際に今日入って来たおとしよりのところに行って、彼の姿勢を変えていった。


今夜はミンザイなしで寝たのだ。

さっきの夜の検温のとき、僕はものすごく眠かった。投薬開始このかた、こんな時間に眠くなる、ということはなかった。どういうことなんだろう?とは思ったが、とにかく眠かった。僕はほとんど落ちながら血圧を測ってもらい、半ば意識を失いつつある状態でなんとか体温を測った。

(今夜は、ミンザイなしで寝られるかもしれない)

ミンザイなしで眠ることは、ここのところのひとつの目標であった。
眠り薬なんか、飲まないで済むなら飲まないほうがよい。当然と言えば当然だが、先生もやはりそう言っていた。

検温の刺激で多少目が覚えてしまったが、まだまだ眠かった。そのとき僕は頭の位置は寝るときと逆さにしていたが、それをひっくり返すのに無理をしなければそのまま寝てしまえるだろう、と思った。 まだまだ当分動く気はしなかったが、とりあえずいずれ消灯時間までのどこかで動いてしまおう、そうして寝てしまおう。今日はミンザイなしで寝てしまえる、投薬がはじまってからははじめてだな、と僕は思った。

ところが、しばらくそうしているうちに意識を失っていると、
「えーん、えーん」
と、突然おとしよりが泣き出したのである。
僕はその泣き声で目が覚めてきてしまった。


理由は分からないが、とにかくおとしよりは泣き出した。
看護婦さんがやってきて、どうしたの?
と話を聞こうとするが、彼の話は文節ごとに「ね、」がつくばかりでまるで要領を得ない。
部屋が暗くなっていた。どうやら、部屋を暗くしたことで彼の中の何かの記憶が呼び戻され、記憶の中の何かが彼を苦しめているようだった。
「おかあさんが、ね。おかあさんが、ね。」
とくりかえす彼の言葉を聞いて、僕は、それが彼のおくさんが今日誤って彼の頭に電気髭そりを落とした事件に関係あるのではないか、と思った。
そのとき彼は、
「いたいー!」
と叫んで、そのあと、
「ばかー」
とおくさんをなじったのである。

今日の夜勤ではじめて彼に出会ったその看護婦さんが事情を推測できるはずもないだろう、と僕は思った。


とにかく、彼が泣き出したことで僕は目が覚め、寝るための体制を本来の正位置に戻す意欲は湧いた。
ところが、今度は彼の泣き声が気になって眠れなくなってしまった。彼はなかなか泣き止まない。泣き止んだと思ったら、しばらくするとまた泣きはじめる

薬を飲もうか飲むまいか、僕はCDをかけて彼の泣き声から逃げつつ考えた。でも、とにかく最後には
「飲まないで、みよう。」
と思った。このままでもういちど眠れる、そんな気がしたのだ。


それで、結局夜中にすぐに目が覚めてしまった。
寝起きの感覚も、朝の目覚めのすっきりした感覚とは程遠い。なんだかぼーっとしている。うたた寝から目覚めたような感覚だった。

(実際、うたた寝だったのだろうな)

そう僕は思った。ここ何日か、朝や昼に数時間寝ることがあった。たまたまそれの巡り合わせが今度は夜だった、きっとそれだけのことだったのだろう。やれやれ、と僕は思った。

ナースコールもかからなくなって、部屋の雰囲気は落ち着いてきた。目は覚めてきた。もうしばらく寝られそうにないな、と思って僕はちょっと無目的になった。

そうしていると、苦しそうな呼吸の音が聞こえてきた。
「ひゅー、ひゅー」
と、息をするごとに特別な音がする。例のおとしよりのところからだった。

(そういえば、鼻に管を通していたな)

僕は、その日の午後、カーテンの向こうにちらっと覗けたときに見た彼の記憶を闇の中に拾い出した。

彼の呼吸の音は、まるで小児喘息の子どものそれのようだった。それに加えて、彼はときどき
「あー」
とか
「はー」
とか弱々しく声を出す。おそらく本人は無意識なのだろう。
そして、彼の呼吸の音を聞いていて、僕は以前にクスコの宿で自分が感じた感覚を思い出した。


リマからはクスコ、マチュピチュ、プーノ、ラパス、というのがそのころに予定していたおおまかなルートだったのだが、ラパスに行くには期限があった。
W杯フランス大会予選のボリビア-コロンビア戦がラパスで行われることになっており、それまでの日数的な余裕があまりなかったのだ。

リマからの飛行機で朝イチにクスコに来た僕は、その足で予定していた宿にそのままチェックインし、さっそく午後からクスコの街や郊外の遺跡をうろうろと歩きまわり、マチュピチュへのインカ道トレッキングのツアー会社も当たり、夜になって僕は宿に帰って来た。

そうして、案の定高山病にかかった。クスコの標高は3,200mを越える。海岸地方のリマからやってきて、そんなに急に動きまわるべきところではなかったのだ。通常は到着した日の午後は動き回らないほうがよい、とされている。
そして、ただでさえそうである上に、僕はその直前にもチリのラウカ国立公園で、4,000mを越える環境で深刻な高山病にかかり、ある意味死にかけている。そのときに失った体力は、まだ回復していなかった。季節がらなのか何なのか、鼻もつまり気味であった。鼻がつまれば、呼吸も苦しくなる。
高山病の症状がでてくるのは、ある意味当然だった。

相部屋のその宿で頭痛と寒気に悩まされぐったりしながら、僕は夜寝る前に
(この感覚は、昔どこかで体験している)
と感じていた。
前にもこういう感じがどこかであった。どこかで、ではない。僕には日常的に、何度もあった。
僕はそれが何なのか思いめぐった。

そうして思い当たったのが、体が弱かったころの、小児喘息で苦しんでいた子どもの頃の自分だった。
そうだ。あのころと同じだ。あのころにもこうして、具合が悪くなるたびに、体が冷えて、頭が痛くて、呼吸が苦しくて、不安で。
そのとき僕が感じたのは、そのころとそっくり同じ感覚だった。呼吸が苦しい、ということで子どものころとそのときの僕は共通していた。
そしてそれは久しぶりの感覚だった。僕は忘れていたのだ。そんな感覚は。

(僕は体が弱かったんだ)

そのとき、僕はなんだか子どものころの自分に対面しているような気がした。


大部屋で聞こえてくる彼の苦しそうな呼吸音に僕はまた子どものころの自分の姿を重ねた。僕はトイレに行って、ついでにうがいをすることにした。

(僕はどうなってしまうのだろう?)

2週の間順調に進んで来た投薬のリズムは急に乱れ、最初からやりなおしになってしまった。
それだけではなく、別のキツい手段も講じられる、という話も出て来た。

うがいをするために洗面台の前に立ったとき、僕は、マスクをして鏡に映っている自分の姿を見てみた。
体重は昨日ついに62kgを割ってしまった。普段より10kgぐらい落ちている。以前その体重だったのがいつのころだったのか、僕はもう記憶にない。
動きに余裕のある作りになっているパジャマの上からは、その下の様子は分からない。着替えは自分のベッドでしているから、まだ僕はこれまでに自分がつけてきた体重がどういう形で落ちたのかは把握できていない。

(僕はふりだしに戻ってしまった)

ふいに、そんな気がした。
でも、本当に自分はふりだしに戻っているのかということすら、僕には分からなかった。

01/06/05


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