ギャートルズ


最近の恒例どおり、目が覚めたのは2時半頃だった。それなのに、ちょっとそのまま起きていたつもりだったのに、次に気がついたらもう4時になっていた。それで、もう4時かと思って起き出すともう4時45分だった。
時間には、等張性というものはないのだろうか?


トイレに行きがけにロビーのほうをふとみると、ソファのいつも僕が座る場所に誰かが座っていた。
誰だかは分からなかったけど、病院貸し出しの患者服を着ていた。ロビーの窓から見える天気は晴れのようでもあったし、曇りのようでもあった。
でも、トイレのあとうがいをしてロビーに行ってみると、もう誰もいなくなっていた。
あれは誰だったのだろう?

僕は日記を書きはじめた。
昨日の朝は「ハングル会話」だと思って油断していたら、「中国語会話」だった、「あなろぐのいず」の分類タイトルページを作った、と書いたあと、「ロールシャッハテストをやった。」と書いた。
どんな流れでテストが行なわれたのか簡単に書いてから、僕はページをめくって次の1ページを使ってまるまる、昨日見た10枚の絵について持った感想を思い出せるままにどんどん書いていった。


書いている途中で、中堅どころの看護婦さんが検温に来た。まだ朝の5:15ぐらいだ。すごい時間だが、まあいつでもいいと言えばいいことだ。ただ、これまでに測られたことのない時間だったから、僕はびっくりした。
血圧を測った。ひさしぶりに上が130を越えた。

すべての絵についての思い出せる限りのだいたいの印象を書き終えたところで、僕は次のページに日記の続きを書きはじめた。
忙しくてTOTOの結論を出すのに夜7時すぎまでかかった。家族が見舞いに来てくれたが、終始落ち着かない気分だった。今日までに届くことを期待していたamazon.co.jpに注文した書籍が配送されたというメールがこない。
昨日は細かい話題のない一日だった、と最後に閉めた。


よく朝みかける知らない人がロビーに来て、テレビ横の籠からFlash!を取り出して読んで、しばらくしてからいなくなった。

ちょこちょこ見かけるオバチャンが、エレベーターに乗って下りていった。

(そういえば、よく目立つよく太っていてよくむくんでいるおっちゃんも、さっきエレベーターに乗ってどこかに行って、そうして戻って来たな)

僕は時計を見た。時間的に言って、そろそろ看護婦さんたちが連れ立ってナースステーションから控え室に行くころだった。

ひとりのおじいさんが来て、いったんロビーのほうにむかいかけて、ふいに取りやめてまたあさっての方向に行ってしまった。


ギャートルズのようだと思った。
アニメのほうではない。原作のほうだ。
こうやって、固定アングルでどこかの風景とそこに来る人物をずーっと映しつづけるような話が、あのマンガにはよくある。ずっと観察しているのは読者だったりもするし、マンガの中の誰かだったりもするし、読者が観察するのはそうやってずっと観察をしているマンガの中の誰かだったりもする。
僕がもっとも好きなマンガのひとつだ。

「『ギャートルズ』もよかったが、『さすらいのギャンブラー』もよかった。そもそも、園山俊二の世界におけるペーソスというものは・・・」

今感じたことについて簡単に記述して、そんな書き出しで日記にギャートルズ論をはじめようとしたところに、さっきどこかに行ってしまったと思われたおじいさんが来てソファに座ってきた。
彼の首の位置からして僕と話をしたそうだ、と思っていたら、やはり話しかけてきた。

「いつも早いですね。」
僕には印象に残っていない人だが、相手にとっては、僕は印象に残っているのだろう。
「ああ、はい。」
そう答えて、僕は、ギャートルズ論の続きを書くのはとりあえずやめた。

「何時ぐらいに寝てらっしゃるんですか?」
「11時、ぐらいですかね?」
「そうですか。私は9時に寝て、この時間です。長いんですか?」
「とりあえず、2ヶ月ですね。」
「麻酔科、ですか?」
「腎臓です。」
「ああ、そうですか、それは。お若いのに。」
なんともコメントしようがない。
「私も若いころから腎臓でしてね。タンパクでいつもひっかかっていたんですが。年取ってから、悪化したんですよ。」
風邪が引き金で腎盂炎になった、とかそういう話だった。
僕は自分以外の人の病気については分からない。
「最初、他の病院で泌尿器科にかかってね。ボウコウを手術したんですよ。1ヶ月入院して。そうしたら、それは真の原因ではなかったみたいでね。しなくてよかった手術みたいです。」

(・・・?)

僕だったらエラい騒ぎを起こしそうなことを、彼はずいぶんしれっと言う。
腎臓が悪いと自分で分かっていて、どうして泌尿器科に行って手術されたんだ?

違和感を埋めようといろいろ考えていたところで、2人の看護婦さんが来た。
ひとりは彼の血圧を測って、ひとりは僕の体重を量っていった。

「・・・タンパク、っていうと、ネフローゼ、ですか?」
「いや、ネフローゼではないです。」
タンパクが出るのがネフローゼの定義だと思っていたが。何か他の病気の結果としてタンパクが出ているのであろうか?
「・・・それにしても、問題ないところを手術されたなんて、ひどい話ですね。」
「ああ、でも、手術の結果悪化した、というわけではないですし。」
彼に遺憾な様子はない。

(悪化しなかったら、どこを切られても平気なのか)

そんなこともなかろうに、と思いながら、僕は話を聞きつづけた。

「医者なんてのは、無責任、というか、探求心ばかり、というか。」
彼が手術された○○大学の教授、というのはどういう人物なのだろう?

彼は7年前に会社を引退してから人工透析をしている、という話だった。
人工透析はたいへんなのか、と僕は聞いてみた。
「それはやっぱり、多かれ少なかれ大変ですよ。週3回1回4時間かかるし、体にも負担がかかるし。」
でも医者は透析をしたがる傾向にある、と彼は言った。透析と結論をつけることによって医者の中で区切りがつくからだろうというのが、彼の推測するその根拠だった。
「そうして大学病院から透析センターに送っちゃうんですよ。病院にいつまでも来られていても面倒見切れないですから。」
「透析センターというのも、大学病院が作ってますからね。もう、金権の組織みたいなものですよ。透析センターにも医者が必要だから、腎臓内科の若手なんかが、そういうところに行ってアルバイトしてるんですよ。」
「ここの先生は、行って相当もらってるんじゃないかな?そういう利権が絡むところなんですよ。」


退院はもう来週だと言うことなので、それはよかったですね、と僕は言った。
「いや、どもども。」
「いえいえ。また。」
「また。」
彼は席を立って、どこかに行ってしまった。
まあ、また話を聞いてみたい、とは思う。

僕はCDを聴こうと思った。41番が聴きたい気分だったが、手に取ったのは通信販売で送り先を自宅にして買ったフォーレの「シチリア舞曲」の入ったCDだった。まだ聴いていなかったので、フィルムが剥がれていなかった。

そして、そのCDを聴いてなにより思ったことは、自分が聴きたい音楽を正しく入手するには、僕には知らないことが多すぎるということだった。
ちょっと出かけてCD屋にでも行って、ラインナップをビジュアルに体験してきたいと思った。テレビとパソコンの情報だけでは、どうしても限界がある。

僕はすぐにCDを取り替えた。40番と41番が一緒になったCDだ。僕は40番を聴いた。
聴いてはみたが、もうなかなかイヤホンから聞えてくる音に集中できる状態ではなくなっていた。

昨日見かけたのとは違う背番号のパトカーが街道を走り抜けていった。
チリの国旗のような色合いの服を着たチリ人のデブにありがちな体格の男が駅のほうから歩いてくると、信号を越えたところでタクシーに乗り、どこかに行ってしまった。

01/07/07


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