サライ


9:30すぎ、ヘルパーのAさんが僕のベッドのカーテンを開けてのぞき込んできた。
「この時間どうだか分かんないけど、行きます?」
X線検査のことだ。他の時間のほうがいい理由は別になかった。
「行きます。」
そう僕が答えると、しばらくして彼女は車イスを持って来た。僕はその間に、適当な暇つぶし用具を用意した。


X線検査室の前は空いていた。いかにもすぐに順番が来て終わってしまいそうな感じだった。
これならAさんにとっても、僕を置いていったん戻るよりもここで待ったほうが早い。
受付を済ますと、彼女は僕の車イスを適当な長イスの横に置いて、彼女自身は長イスの端に座った。

ちょうどすぐそこに本棚があった。
車の雑誌、女優さんの特集雑誌、ハードカバーの「次郎物語」、学研のひみつシリーズ、「○○のひみつ」。
ラインナップを見て、僕は「Porche特集」と銘打ってある車雑誌を手に取った。Aさんがそれをのぞきこんできた。
「私、車分かんないのよねぇ。」
どこがどういいのかとかはまるで分からない、と彼女は言った。
僕にも分からない。僕の車の区別の方法は、黒、白とかの色が主だ、と僕は答えた。
走っているポルシェ、完成したポルシェ、作りかけのポルシェのフレームの写真、タイヤ、ホイールの写真を見た。どれもきれいだった。
燃料電池の特集記事があった。水素を燃料とするエコロジーな新世代燃料電池の開発がいよいよ黎明期だ、とかそんな記事だった。このあいだ、ハングル会話の代わりに見ていた「おはよう!日本」でもそんなニュースをやっていた。そのときは、広島だかどこかの大学の研究チームが水素を効率よく貯めてしかも取り出しやすい合成金属の組成について研究していて大活躍、とかそういうニュースだった。

それほどおもしろくもないので何か他の本はないか、と僕はもういちど本棚のラインナップを見直した。
そうすると、そのポルシェ特集のあった場所のすぐ横に「サライ」のバックナンバーがあったのを見つけた。

「あ、サライだ。」
「え?何?それ。」
サライは割とハイエイジ向けの出会う素材重視系ののんびり風土紀行雑誌だ。
国内旅行啓発雑誌、とも言えなくもない。
大きい図版の写真が多くて、僕が割と好きな雑誌だ。たまに機会があれば、読むようにしている。
僕の読んだことのない号だった。
これはおもしろいよ、と言って、僕は彼女とその雑誌を見た。
頭からいいかげんにページをめくっていったのでテーマは分からなかったが、最初の特集は各地の料理屋の和風お惣菜を集めたもののようだった。
カニの塩辛とかなんとか、東京や名古屋のいろいろおいしそうな写真が出ていた。

「おいしいものが、旅行の動機よねぇ。」
そんなことをAさんが言った。
退院したらしばらくのんびりね、と彼女は言った。そうだね、と僕は答えた。
「あ、でも、塩辛は食べられないか。」
「塩辛はだめでしょう。」
「いいの?こんな写真見て。」
ミス・ベネズエラとかの写真とほとんどかわらない、と僕は答えた。それよりも写真自体がおもしろいからいい、と。
料理の写真はおもしろい。このあいだ僕の友達がお見舞いで持って来てくれた「サライ」はカツオ料理特集だった。日南、土佐、静岡、勝浦他の地元カツオ料理の写真がたくさん載っていて見ていておもしろかった、と僕は答えた。

検査の順番はすぐに来た。検査室の厚い鉛の扉を開けて、Aさんに車イスを押してもらって中に入った。
Aさんは外に出ていった。

「じゃあ、ボタンのついているパジャマだけ脱いでもらいましょうか。」
僕の名前を確認したあと、放射線技師の人がそう言った。僕はパジャマを脱いだ。

正面、横からの胸の写真は速やかに撮影された。
彼女は僕の姿勢をマネキンをいじるように非常に手際よく調整して、呪文を唱えながら部屋の外に出る。後ろ手で撮影ボタンのあると思しき部屋の鉛の扉を閉めたか閉めないかというときに写真が撮影された音がして、すぐにこちらに戻ってくる。
そのサイクルの2回目が終わったところで、彼女はまっすぐに出入り口のドアに向かった。
「これで検査は終わりです。写真のほうは持ち帰りではないので、このまま帰っていただいて結構です。」
もうドアを開けていいか、と聞かれて僕はそれは困る、と答えた。
まだパジャマの上をこれから着ようかというところで、まだボタンもつけていなかったし、それどころか袖も通していなかった。

「サライ、おもしろいでしょ。」
おもしろい。私こういうの好き、とAさんは答えた。
部屋に友達が持って来てくれたバックナンバーがあるからそれを貸すよ、と僕は言った。

ベッドに戻ってくるまで、結局あっという間だった。
僕は、ベッドの側の大型の本を置くことにしている場所を探してみた。

・・・あるべきはずの場所に、サライはなかった。
あれおかしいなと思ってよく見てみると、NHK教育テレビの「茶の湯」のテキストは置いてある。暇つぶしに持って行ったはずのもののひとつだ。

(???)

ハテと思って、持って行ったほうの書籍を調べてみた。
サライは、そっちにあった。

(どうせたいした時間はかからないだろうと思っていたから、きっといい加減な気分で本を選んで、しかも取り間違えたか何かしたのだろう)

「なんだ。持ってってたよ。」
そう言いながら、僕はAさんにその本を渡した。

01/07/09


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