いったい、900点ってどんな世界なんでしょうね?

なかなか窺い知ることのできない彼らの生態について長本吉斉氏がその著書においていろいろ述べているので、僕の場合をサンプルにしてコメントしていきたいと思います。


日本人としての英語力は、ハンパじゃないレベルです。
そうらしいですねぇ。僕もそうなんだろうと思ってました。でも正直、「こんなんでホントにスゴいのか?」という感じです。スゴくないです。
僕ぐらい人はみんなそう思ってると思います。

良くも悪くも、性格もかなり日本人離れした人が多いのが特徴。
日本人離れ、してますね。たしかに。良くも、悪くも。

この層は海外経験があって楽に900点台に乗る人と日本にいたことしかなくて苦労してやっと900点台に乗る人と2通りがいます。
苦労したかなぁ...。どうだろう。した、と言えばしたかもしれないです。なんだかんだで、どんな日でも、よほどのことがあったぐらいでは英語の勉強しないことはないですし。
勉強はじめて900点取るまで8ヶ月ぐらい、英語の勉強ぜんぜんしなかった日は2日ぐらいしかないです。スポーツ中継を聞き流すとかいうものまで含めればの話ですが。

「苦労」という言葉の定義にもよりますね。
なるべく苦痛にならないやり方をいつも選択していたんで、そういう意味ではあまり苦痛ではなかったと思います。
僕より「苦労」している人はたくさんいると思います。

苦痛にしない工夫は...。
興味のもてる教材を選ぶこと、計画と実践、成果というプロセス自体を楽しむようにする、やりたくないことは極力やらない、どうしてもやらなければならないときは、なるべく楽な方法を考える、便利なことにはお金を使う、他あります。

900点台の人の場合、勉強をしてなくても英語の力はあまり落ちない。落ちてもすこし勉強するとすぐに回復する。
「勉強しなくなった」の定義にもよりそうですが、そんな気はしますね。
800点台中ごろぐらいと900点のどこが違うって、基礎的な文法知識がいちおう自分のものになっているかどうかです。
基礎がしっかりしているから、すぐ取り戻せる。そういうところだと思います。
それから、音への慣れが圧倒的に違うと思います。

この先にも上には上が無限に続いている。
700点台のころは900点より上はぜんぶ同じだろうと思ってましたけど、おっしゃるとおり、ぜんぜん違います。
僕なんか中でもいちばんしょーもないほうです。

930点と960点の人の違いは、試験中あまりにも問題が易しくて気が抜けてしまったかどうかというぐらいの違いしかない。
うーん、960点から上のことはまだ分かりませんが、930点と960点にはまだ差はあると思います。
まだ僕には960点は無理だと思います。いいかげんにしていることの落とし込みの差がありそう。

海外生活経験者と国内自助努力型では、同じ900点をとったとしてもその中身はぜんぜん違って、海外組のほうが格段に濃い。
いやあ。痛いなぁ。そう思います。
海外組はコンテクストの厚さが違います。同じように"situation"といっても、エピソードの質が違うのでイメージの湧き方が違う。文化的背景にも強いわけで。
TOEICの勉強だけコツコツやってる人は言ってみればTOEIC「しか」できないわけで、その差は格段です。ぜったいかなわないです。
まあ、本人がそう思っていてもまわりがそう見てくれないというのがトリックで、だからTOEICは狙いどころなのですが(笑)

国内自助努力型の人は「私はこうして900点に届いた」なんて主張することがあるが、通常一般人にはマネのできないことをしているので、本人は大真面目でもウケないことが多い。
ははは。たしかに僕のマネは普通できないでしょうねぇ。僕も、それは分かってて書いてます(笑)
ていうか、人マネじゃムリです。自分で自分にあったやり方を考えないと。
僕がこのサイトで書いてることは、「是非マネしましょう。」ということではなくて、「参考にしてください。」というところです。
勉強法に行き詰まったら、ときどきアイデアを探しに来てください。



その他僕が感じること
TOEICのスコアにはクラス分けがされている。860点からさきは「ノンネイティブとして十分なコミュニケーション能力を持っている。」というカテゴリーでこの上はないのだが。
「この先はTOEICのスコアを上げるための勉強をしても本人のためになりません。」
というのが正しい解釈だと思う。
900点なんてこだわらないでいいから、もっと健康で文化的な生活をして、それでもやりたければそのうえで役に立つ英語の勉強をしましょう。

「900点突破」とか「990点の」とかいうフレコミの教材で、800点台の人のTOEICのスコアアップのために役に立つだろうという印象を持った本は僕にはないです。あえて言うなら、「TOEICテストボキャブラリー完全制覇(ジャパンタイムズ他)」ぐらいか。
その手のタイトルのものに出てくるのは本当に「これのどこがビジネス英語だ?」と思ってしまうような文章とか、「こんなヘンなの知らないでも全然問題ないよ」というボキャブラリーとか、「いたずらに難しくするためにややこしくしているだけの例外だけよせ集めた文法問題」とか、そういうのばっかりです。
TOEICで点を取るのに特別なことはいりません。基本とスピードが80%です。やっても出てこないボキャブラリーとか重箱の隅にある法則と格闘しているあいだに僕のウェブサイトでたくさん★のついているテキストをしつこくやってるほうが早いです。

このコンテンツを立ち上げたときは2002年1月、880点のときだった。
2002年5月に925点を取った時と何がどう違うかというと...。
たとえばTOEICに関してならば。
特別大量に勉強していたつもりはないのだが、リスニングに関して言えば、リテンションの力がぜんぜん強化されていることに試験中に気がついた。音声もたぶん880点のころよりもクリアーに聞こえているという実感があったしPart3やPart4をやっていても、途中で他のことに気をとられて聞いてない時間のスポットがあったとしても、「あ、いかん」と思うと数秒前までの放送の内容がたちまち頭の中で再構成されて、長い放送の途中でもパニックをおこさないままに放送の内容に意識を戻すことができた。こういうことは、たぶん1月にはできなかっただろうな、と放送を聞きながら思う余裕もあった。
リーディングについて言えば、5月の試験では全部見直しをしても、時間が15分ちかくあまった(のわりには9割しか取れていないのだが(^^; )
しかもこれはPart7のe-mailの内容を問う問題で日付についての設問があって、何度も何度も本文を読んでもどうしても答えが見つけられなくて何分もそれに関わっていて、のあまり時間だった。スピードがケタ違いに上がった。
(ちなみに、その問題の答えはメールのタイトルにあった)
TOEICをはずれたところで言えば。
やはり、単純だがボキャブラリーもふえたし、グレーゾーンだったボキャブラリーもいくぶん整理されて頭に入っている。
そのおかげでリスニングしていても音がクリアに聞こえるし、リーディングでも理解力が違う。

語学はどこまでいってもボキャブラリーだ、と個人的には思っている。他の力は案外簡単に(という言い方もないが)ついてしまうものだが、ボキャブラリーだけはいつまでたっても途方もない。
特に、英語の場合は基礎的な文法を押さえてしまうのはそんなに大変なことではない。そして、TOEICが要求しているのは、実はそこまでである。
そこから先は、ボキャブラリーの世界である。単語・熟語・語法・慣用表現をどれだけ知っているか、どれだけ覚えているか、どれだけ馴染んでいるか、どれだけ自分で使えるようになっているか。
リスニングにしろ、文法にしろ、長文読解にしろ、どんな勉強をしているときにもボキャブラリー強化を抜きにしてやっているとやがてどこかで頭打ちになる。そうなってからボキャブラリーを増やしていくのは非常にキツいし、非効率的だ。
他のことももちろんそうなのだが、ボキャブラリー強化の努力は、常につづけるべきだと思う。

となると、結局日ごろから貪欲にボキャブラリーを増やす努力をし、それを活用すべくたくさんの文章を読んだりたくさんの音声を聞くことが肝要ということになるだろう。
そして、「覚えている」を「知っている」に落としてしまうことなく、また、「馴染んでいる」に持っていくはどうしたらよいのかというと、結局、印象に残っているうちにまたどこかで出会うよりない。インプット、インプット。結局、ごくごく単純に言えば、重要なのは継続ということになる。

語学には、スポーツに似た側面がある。毎日やっていればどんどん上達するが、何日か練習をサボると、急に感が鈍ってしまう。普段からのイメージトレーニングも非常に重要だ。ぜんぜん上達した気がしなくて、長く苦しむ時期もある。そう思うと、ある朝突然できるようになっていることもある。

800点台後半ぐらいから900点台前半ぐらいまでが、いちばんある意味世間の認識とのギャップに苦しむところだと思う。
もしも近くにこのぐらいのスコアの人がいたら、「うわあ!すごいですね!」とか言ってみましょう。きっと、一瞬スゴく複雑な表情をするはずです。
そういうとき、その人は謙遜しているんじゃないんです。「まいったな。」と思っているんです。本人は英語ができるとは思っていない、相手はこちらが思うようには思っていない。
だから、反応に困るのです。僕も困ります。きっと(笑)


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