年があけて、僕は通院の都合で病院をかえた。
まあそうでなくても変えるつもりではあったのだが、退院して3ヶ月の間、僕には別の病院を探すだけの体力も気力もなかった。
新しくその病院を選んだのは、近くにあったからというのもそうだったのだが、年末に親父がちょっとした事情で1週間ほどそこに入院して世話をしにいったとき、ずいぶんと気に入ったからである。
(豪華客船飛鳥号のようだ)
自分が入院していた病院と比較して、僕はそう思った。
前の病院で受け取った医療情報提供書を持ってその病院に行った。所定の用紙に必要事項を記入して「初診だ」と言って健康保険と一緒に提出したら、すぐに「来院歴があります。」という返答が返ってきた。そんなこともあったかもしれないが記憶になかった。聞いてみれば、それはすごく昔のことだった。すぐに新しい診察カードが作られた。
内科に行って事情を簡単に説明して、書類を渡した。1時間ほどで僕は診察室から呼ばれた。
わりとこざっぱりした先生が僕の持ってきた書類を読みながら待っていた。僕は簡単にこれまでの経緯を話した。簡単にいくつかの質問にも答えたかもしれない。
その先生の発した言葉は、おどろくべきものだった。
「そんなに長く入院する必要があったのか疑問だ。」
というのが最初のそれだった。
「これまでのステロイドの使い方も異常に多い。今飲んでいる強い薬のうちのひとつももうおそらく必要ない。」
「食事制限は必要ない。たまに症状がぶりかえすことがあるかもしれないが、そのときだけ制限すれば十分だ。」
「だいたい、あなたのような症例の場合、数年で何事もなかったようになってしまうものだ。」
「運動は?」
「してもかまいませんよ。というか、制限してもしなくてもかわらないです。」
副作用の強い薬を飲んでムリヤリ押さえ込むよりそういう風にしたほうがあらゆる意味でよいという話だった。
返信にあたる医療情報提供書を受け取って、僕は診察室を出た。会計は一瞬で終わった。
僕はその足で午後になってから前の病院に行った。
診察の予約は13:30ごろ。その助教授の診察の常どおり、今回も僕が受付をすませたのはそのちょっと前で、結局診察があったのはそのだいぶ後だった。いつも遅かったが、今回は特別遅かった。
「どうも、すいませんね。遅くなりまして。」
「いえいえ。」
彼の診察はこの病院のその曜日の診察の中でもとりわけ遅いほうだ。
もうつかれきっていた。この病院にくるとなんだか知らないが妙に疲労する。
僕は新しい病院で受け取った書類を渡して簡単に挨拶をした。そうして、「薬だけ欲しい」と言った。ほとんど衝突音とでも言うべき非常に大きな音を不連続にたてて彼がテンキーを叩きマウスをクリックするのを、僕は憔悴しきった気分で見つめていた。
ほかにもいろいろ事情があったのだが、診察が終わったのは17:00をすぎであった。その後ろにまださらに何人かの患者が控えていた。
入院棟に顔を出した。僕が入院する前から入院していた整形の患者さんに会った。
「月末で退院です。」
「おめでとうございます。」
もうこの病院に来る用事もなくなったな、と僕は思った。
僕は去年の4月の末から10月頭まで、ネフローゼ症候群という診断を受けて入院していた。それは尿からたんぱく質であるアルブミンが出てしまうというもので、ステロイドを大量投与してそれを押さえ込む、というのが前の病院の治療方針だった。どうもうまくいかない、ということで、途中からは免疫抑制剤もあわせて使われた。
このステロイドというのが、副作用が強いことで有名な薬なのだが、いざ使われてみると、なるほどとんでもない薬だった。
僕はまず最初に5月の頭に点滴を打たれた。それで治療効果がイマイチだ、ということで、5月の末にまた点滴を打たれた。各々、1000mlを3回、である。ステロイド生体内で作られるホルモンなのだが、通常のそれは1日6mlとかそんな程度。いかに異常な量かなんとなく想像がつくだろうか?
そのあとは、60mlからはじめてしばらくの間毎日注射をつづけて、だんだんその量を減らして、そのうち経口薬になって、という過程を経ていった。
僕にはあとに残るような深刻な副作用はほとんど無縁だったが、その代わりにどういうわけか精神状態にはメチャクチャに作用していた。
それにやっと気がついたのは7月ごろのことで、それまでは自分の感情様式がおかしくなって、まともな行動制御をすっかり失っていることにすら気がついてなかった。それに気がついてからは、メチャクチャになっている自分にショックを受けて、なんとかまともになったのではないかと思うようになって、それで気がつくとやっぱりまたメチャクチャやってて、それでまたショックを受けて、それでもなんとかまともになったのではないかと思うとまた自分が自分を裏切っていて、ということの繰り返しだった。しまいには自分が信用できなくなった。
薬が抜けてもしばらくの間は、自分を信じることができなかった。あの当時の自分をまったく別ものとして捉えることができるようになったのは、本当につい最近のことである。
そう思えるようになるまで、入院中に書いていた文章はすべて僕の中でタブーだった。
当時書いたメールや作成したHTMLファイルを読んでみると、たしかに明らかにおかしい。全部が全部一様におかしいわけではないのだが、おかしいものは非常におかしい。そうでないものにも、いろいろな程度に、であるのだが、やっぱりおかしいものがたくさんある。
実際入院前もすでに弱っていたわけだし、そのまま気がおかしくなる薬をガンガン投与されていたわけだし、仕方ないか、と思う。どんなにかひどく精神に作用するのかということも、まるで知らなかったわけだし。
まあそれでも、今の自分とすっかり切り離せるようになって読んでみると、博物学的な面白さを感じるものもけっこうある。
というわけで、僕しか分からない事情も含めて、当時の文章を前面に持ってきて適当に注釈を加えていきながら読みすすめてみたい、と思うようになった。
一部は「テレビの感想」のほうですでにアップしているから、こっちはまだ再利用していないページが主な対象である。それに加えて、未公開のテキストもいくらかアップしていこうと思う。
別に特別な啓蒙活動でもなんでもないのだが。
割と面倒(と思われているよう)な病気にかかってしまうということ、ステロイドの副作用を精神的に受けるということ、そんなことについての僕の気分が読者になんとなく伝わってくれれば、このコンテンツはいちおう成功である。
2月の3連休にいい気になってドンチャン騒ぎをした後風邪をひいてしまったのがきっかけで一度ネフローゼが再発したのだが。
新しい病院の処方どおりにちょっと大目の薬を2週間ほど飲んでいたらとりあえず収まってしまった。その次に診察に行ったら、それまでの量の2/3を一日おきに飲めばよい、と言われた。前の病院だったらきっとまた大量に点滴を受けて、ジリジリと薬を減らして、ひょっとしたらまた3ヶ月ぐらい入院していたかもしれない。
「欧州で研究されている、ステロイドの副作用をいちばん少なくして治療効果を損なわない飲み方です。」
新しい病院の先生はそう言った。
「前の病院で、最初に点滴の効果がでなくてもう一度点滴したじゃないですか。なのに、今回どうしてこんなにあっさり片付いてしまったんだろう、って思うんです。」
「点滴の効果がすぐに出ない場合もけっこうあるんですよ。正直、あわててまた点滴したのはどうだったかな、と思いますね。」
その点滴治療には仰々しい名前がついているのだが、そもそもその治療方法の採用もどうだったか、という話だった。
ふりかえって考えると、前の病院はとんでもないところだった。
僕には大病の経験はこれまでなかったこともあったから比較のしようがなかったし、任意に決定した別の病院に行けば事態が好転することがそこそこ期待できるとも思えなかった。入院中の身空では他の病院の情報を集めることもできなかった。
すっかり過去のことになってから、僕は今はじめて思うのである。
誤注射をめぐる一連の騒動のとき、まともな対応をしてきた医者はひとりもいなかった。婦長だって、本当はきっと僕が言い出すまで何も知らされていなかったのだろう。教授に至っては、あの件については今も知りもしないはずだ。
僕はもっとさらにいろいろと思い出す。
「朝うるさい。」という苦情が隣のベッドから来たとき「目が覚めても起床時間までベッドでじっとしていればいいだろう。」と言ってきた医者のこと。
「私、医者なんて向いてないと思うんですよ。患者のことなんて、考えられなくて。」と僕に真顔で言ってきた医者のこと。
「ステロイドを使っている患者は洗髪も月1度だ。」とかデタラメを言って僕の洗髪を断った看護婦のこと。
外来で来るたびに常に予約時間から3時間以上待たされていた助教授の診察のこと。
家族を呼んでの病状説明のとき、記録を取りながら居眠りをしていた医者のこと。
その上、あんなに長期の入院は必要なかった、大量の投薬も不要だったとしたら。
02/03/16
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