りりーす・ざ・電気ポセイドン
今朝目が覚めたのは3:00前だった。
昨日の晩、夜9:00すぎに看護婦さんからミンザイをもらったときに、胃薬と間違ってすぐに飲んでしまったのだ。
それで、10:00まで「茶の湯」を見たのはよかったのだが、薬が効いてすぐに僕はそのまま寝てしまった。
目が覚めて、とりあえず携帯に落ちたメールをチェックした。
ちょっと長そうで、すぐに読みたいメールが1件あった。どうしようかと思ったのだが、結局パソコンを開いて、すぐに落として読んだ。そのメールに書かれていることを何度か読み返して、パソコンを閉じて、CDをベートーベンの3大ピアノソナタに変えて、僕はもう一度寝た。入院当初はぜんぜんダメだったのだが、最近ピアノも聴くようになった。
目が覚めたのは6:00ごろだった。
ちょっとまいったな、と僕は思った。スペイン語会話は今日はアルベルトの歌特集だから何の予習の必要はないが、英語ビジネス・ワールドはいつもどおりだ。そして、僕はまだ何も準備もしていない。
すぐに起き出して、日記帳とテキスト、ボールペン他を準備してまず僕はトイレに行った。
トイレを出てきて、僕は気がついた。
「しまった。うがい薬を忘れた。」
仕方がないので、水でうがいをしてからロビーに行った。
日記に書くことはほとんどなかった。書くべきことは、昨日の夜「茶の湯」を見る前にほとんど書いてしまっていた。僕は昨日NHK総合で見たマルチナ・ヒンギスが世界ランク83位のスペイン人ルアーノ・パスクァルに負けたウィンブルドン女子1回戦の試合内容についていろいろ書こうかとも思ったが、結局やめた。
ソファに上がってその肩の位置に座ると、昨日の晩また工事があったのか、道路がまた新しく舗装されなおされたかのような跡が見えた。白線の粉がローラー車なんかにかき乱されて錯乱して散らばっている。その上を、普通自動車やら貨物車やらが次々に走っていった。
英語ビジネス・ワールドのテキストを読んでいたら、看護婦さんがやってきた。
「こねさん、血圧、測っていいですか?」
「いいすよ。」
僕は腕をまくって伸ばした。
「なんで、こんなとこ座ってるんですか?」
「うん?あ、うん。ここからが、いちばん外がよく見えるから。」
僕はソファの肩の位置に座ったままだった。
「これ、ここ置いていいですか?」
彼女は、僕の膝の上に計測器を置いた。
「いいすよ。」
僕はそう答えた。
英語ビジネス・ワールドの予習も終わった。ロビーの時計は6:30をちょっとまわっていた。
(さて、もうちょっとここにいて、それからゆっくりベッドに戻るか)
そう思っていると、Nさんが体重を量ってから、うれしそうに僕の横に座ってきた。
その左手には、もちろん電気ポセイドンだ。
治療効果が順調なので、実は今日、彼はこのわずらわしい三つ又槍と郵便受けのセットから開放される可能性がある。
今日は腎臓内科の教授回診の日なのだ。そこでの教授の一声しだいだ。
「おはよーす。」
「おはよー、す。」
「ったく、こんなん持ってウロウロしてるよ。」
そういって、彼は自分の尿器を見せて笑った。あんまり回数が多いから、なるべく安静のためにトイレには行くな、ということらしかった。
「ははは。で、どーすか?今日は?」
「うん。62.1。」
体重のことだ。
「やりましたね♪」
「まあね。でも、ヤバいよ。」
どんどん体重が減っていると、とりあえずそう言ってみたくもなる。その気持ちは分かる。
「ははは。」「いや、でも、ホントスッキリしたよ。」
「あ、ホントそう思いますよ。シルエットとか変わっちゃって。僕のベッドの前通るじゃないですか。そのときとか、思うんすよね。『あら。別人。』とか。」
大部屋で、彼は僕の隣のベッドにいる。彼のほうが窓際だ。
「ははは。で、今、何キロなの?こね君?」
「あ、えーと。60.2す。」
僕はさっき体重を量ったあとに記入した日記を調べてそう言った。
「増えたね。」
「ええ。ちょっと。」
前に同じように彼と話したときの僕の体重は60を切ったかきらないか、そんな数字だった。
「オレも、もうそろそろ止まってくれないと。標準体重らしいんだよね。もう。」
「どうすかね。わかんないすよ。」
僕のときはガクンと落ちて、ジリジリと同じような数字の日が続いて、またガクンと落ちてのくり返しだった、と僕は言った。
「・・・それで、日記に『体重は安定してきたようだ』って書くと、次の日にガクンと落ちるんですよ。だいたい、3日に1回とかのペースだったかなぁ。」
「あー。そうかぁ。なんかオレも、そうなりそうだなぁ。」
彼はそう言った。僕にはなんとも言えないが、まだ落ちても不思議はないと思う。
「で、メシ、今どのぐらいって言ってたっけ?」
「1,900・・・。あ、2,000すよ。」
単位はキロカロリーだ。1,900kcalは、入院当初の数字だった。
「そうだよなぁ。」
「Nさんは、2,100すよね。」
「そう。」
「それで、ヨーグルトつき。」
「そう。なんか、見てるとずいぶんメニュー違うよね。」
「いや、そうなんすよね。実は僕も、結構気になってはいるんですけど。」
「前は1,800だったんだけどさ。」
「薬が効いたからじゃないですかね?」
「うーん、そうなのかなぁ?分からんよ。」
詳しく比較はしていないが、僕もメニューが人それぞれずいぶん違うな、とは前から思っていたのだ。
「あと、オレ今果物多いんだよね。カリウム、少ないらしくってさ。」
「あー。そうなんすか。僕は、グレープフルーツ、今ダメす。」
「自己主張の強い魚」はグレープフルーツを食べると吸収がよくなりすぎてしまうらしい。
「自己主張の強い魚」が投薬されるようになってから、僕の食事のプレートには「GF禁」という赤の太いサインペンで書かれた表記がある。
「ガールフレンド禁止ですか?」
その表記を見つけてから、僕はいろんな人になんどか聞いてまわった。何も、食事のプレートに「ガールフレンドはダメだ」とまで書かないでもよさそうなものを。
「まーでも、ホント、そのうち僕抜かされちゃいますよ。」
「早ければ今週中かもね。」
Nさんは体重減少の勢いに任せて、益々自信満々だった。それに反比例して、僕には自分の立場を維持できる自信があまりなかった。
ロビーの時計は6:40をすぎていた。この時計が進んでいるのは知っているが、どのぐらい進んでいるのかまではきちんと把握していない。6:40をすぎてしまって、ちょっとでもアルベルトの歌を聴き逃すのはコトだ。もうちょっとNさんと話をしていたい気分ではあったが、僕は席を立った。テレビを見たいから失礼というのも気が引けて、なんとなく席を立ってしまった。あとから考えたら、それはそれでまた気が引けた。
ベッドに戻って時計を見たら、6:36だった。
「なんだ。まだあと3分あったのか。」
そう思うと、なんだかちょっと残念であった。
01/06/27
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