副作用です

副作用です


僕の病気、微少変化型ネフローゼ症候群には、ステロイドが劇的な治療効果がある。

でも、ステロイドにはいろんな副作用がある。投薬治療がはじまって、最初はそうでもなかったのだが、期間が経ってくると、やっぱりいろいろと副作用も出てきている。
投薬量が減れば副作用も減るのかと思っていたが、減っていったとしても、普通に副腎皮質から出る量よりもたくさん投与している間は、副作用は強くなる一方らしい。
しかも、僕がどうも薬の効きやすい体質らしく、治療効果も良好なのだが、副作用の出具合も、結構ペースが早め、らしい。

投薬治療の最初の段階ではまだ副作用を自分で自覚していなかったところがあって、検査の結果病状は回復に向かっているようだ、という情報ばかりを家族に流していたのだが、最近になって、
「いや、やっぱり副作用も結構出てるね。」
みたいなことを電話なんかで言うようになってくると、最初は「よかった、よかった。」ばかり繰り返していた家族もやっぱりそれなりに心配しはじめた。

僕の状態について24時間トレースしているのは僕自身なのだし、先生や看護婦さんと話をする機会がいちばん多いのも僕だし、どう対応したらいいのかこまめに情報を収集して対処しているのも僕だ。

気にかけてくれるのはうれしいのだが、ちょこちょこしか流さない情報にあんまり神経質になられても、けっこう困る。
僕自身にとってはもう当面の問題ではなくなって心配していないようなことでも、電話のむこうで大事のように扱われているから、そのことでかえって僕が神経質になってしまう。病状について起こっていることをいちいち伝えるのも、相手を刺激してしまうし、結局その刺激が自分に帰ってきて疲れてしまうから、こうなると、あまりこまめにどうなっているか教えるのは止めようか、とか思ってしまう。

入院患者はやはり、外界と接触の絶たれた、ブラックボックスの中にいるべきなのだ。


そう思っているところにちょうど、昨日の夕方ぐらいに家族が来た。

そのまえに高揚することがあってちょっとイライラしていた。今はまずいか、と思ったが、僕はそのときの気分で、これからの投薬で副作用がもっと出てくるだろう、という話をしたうえで、ついその話題を姉と母にふってしまった。

「あんまり悪い情報流すとさぁ。なんか心配すんじゃん。あんまり心配されて過剰な反応されると、かえって僕が疲れちゃうからさ。どうせこれから長い入院になるんだし、いろんなことあるんだからさ。あんまりピリピリ反応しないでほしいよ。」

姉はそんなことないよ、と言ったが、その言葉に母は強く刺激されたようだった。

「そんなこと言ったって、アンタのこと心配してんだよ。」
「心配してくれるのは分かったから、そんなに過敏に反応しないでくれ。」
「どこが過敏なんだい?!」
「僕が一番状況よく分かってるんだよ。僕より情報が少ないんだからさぁ。」
「だからよけいに心配なんじゃないか!」
「そうやって外で心配されてると、僕が疲れる、って言ってるんだよ!」
「アンタ、何言ってるんだい!」
「そういう風に言ってくるから、何も言いたくなくなるんだ!もともと難病なんだし、いろんなことがあっても仕方ないだろ!」

こうなってしまうと、ウチの母はもうどうしようもない。
もう、ラチがあかない。こんなことで、大部屋で大声で口論しているわけにはいかない。

僕は、姉貴にこう言ってその場から逃げ出した。
「トイレ、行ってくるわ。説明してあげて。あとは、まかせた!」

ステロイドの副作用で、気分が高揚しやすくなっているのである。励起状態に近い状態で常に精神状態が安定しているから、普通なら閾値を越えないような刺激にもすぐにカーッとなってしまって、平素なら冷静に対処できるようなことがまともにできなくなる。

一応それを意識していたから、なんとかその場から逃げることができた。
そうでなかったら、あのまま大部屋のベッドで、僕は母と永遠に口論を続けていたかもしれない。
僕の母は、こういう形になるとまるで聞かない人なのだ。

「あとはまかせた。」というのは、僕が居ない間に母に事情を説明してくれ、ということだった。

冷静さを失いやすくなっている自分を意識していた投薬直後の自分は、まだそれが副作用のせいだと思っていなかった。入院生活が長くなってきたことか、他の何かのストレスが溜まっていて、そのことでイライラしやすくなっているのだろう、ぐらいに考えていた。
ようやくどうもおかしい、と思うようになって看護婦さんに相談したのは、投薬開始後1週間ぐらい経ってからのことである。

トイレまで行ったはよいが、別に用事があったわけではない。
ハテどうしたものか、と思っていたら、ヘルパーさん2人、氷枕を作りながらおしゃべりをしていた。
僕は、そのおしゃべりに混ざっていった。僕は、簡単に事情を話した。

「そりゃ、アンタ、親なんて、そんなもんよ。"この世に産み落とした責任"ってもんがあるんだから。心配するのが、親のシゴトよ。」
彼女は明るく、そう言い放った。

「そう、そう。まして、年とるとヒマになっちゃうからね。やることないから、またよけいに心配しちゃうんだよね。」
僕はそう答えた。

「ホント、産み落とした責任、ってモンがあるんだから...。」
そう言って、彼女は続けた。

「私の知ってる人でね...。親に殺されかけたヤツがいるわよ。」
「ええっ!すごい、話ですね。」
もう1人のヘルパーさんと僕は、声を出して驚いた。

「もう、すごい万引き癖があって、4才のころから、幼稚園のころから万引きしてたヤツがいるのよ。」
「え?4才?そりゃ、早いなぁ。僕は、中学のころでしたよ。」
「それがね、最初の、っていうのが、サイセンドロだったのよ。」
「サイセンドロ?!」
「そう。賽銭ドロ。近くの神社の賽銭を、箱ごと盗んだのよ。」
「ええ!」
もう1人のヘルパーさんと僕は、また声を出して驚いた。

「そいつ、4才で、賽銭箱盗んで、神社の裏に埋めて隠したんですって。それでね、友達に『今日はオレがおまえらにおごってやる』って言って、10人ぐらい連れてきて、みんなで賽銭箱掘り返して、道具を使って上手にこじ開けて、お賽銭持って、駄菓子屋に行ったんだって。」
「埋めたんですか...?」
「そう。埋めたの。4才が、よ。狡猾なヤツよね。」
「うひゃー!」
「それで、買物して、また翌日神社の裏に行って賽銭掘り返して、って繰り返してね。でも、さすがに3日目に親にばれちゃって、親と一緒に神社の裏の賽銭箱隠しているところまで行ったんだって。そしたらね、そのお母さん、というのが、『あんたみたいな悪党を産み落としたのは失敗だった。こんなヤツ生かしておくと世の中のためにならない!アンタを殺して、私も死ぬ!』って叫んで、ソイツの手を引っ張っていって、電車の線路に出ていったんだって。」

いろいろあったが、"ソイツ"は、どうやら助かったらしい。よくよく聞けば、その話の主人公、というのは、彼女のダンナさんだった。

「とにかく、悪いヤツでさ。暴走族はやるは、なんだ、って、ホント、ムチャクチャなのよ。」
「はぁ。」
「でもね、子供にはすっごいキビしいの。ホント、『自分はムチャクチャだったくせに、なんでアンタがこんなに厳しくするの?』という感じよ。」
「ああ、でも、そうかもなぁ。ムチャクチャやるとあとが大変だってちゃんと知ってる人は、人がムチャクチャやろうとすると、やっぱり止めますよ。」

「それが、さぁ。子供のほうも、それですっかり、何をするのもおそるおそる、という感じになっちゃってさ。ホント、『石橋を叩いても渡らない』っていう感じの子になっちゃってるわよ。」

「その点、僕なんか『石橋を叩き壊してから泳いで渡る』みたいな性格してるからなぁ。」

「ハハハ。でも、そういうほうがいいのよ。」
「無事に生き残れればね。」

すっかりリラックスできた。もともと、僕は長い間カリカリしていられない性格なのだ。

「無事に生き残れればね。」
と言ったのは、かなり本音な話だ。
好奇心の強い個体は、成長すれば集団に利益をもたらす可能性が高い一方で、早い段階で危険な目にあって死んでしまう可能性も高い。

ようするに、僕はひところ、僕がネフローゼにかかってしまった理由というのは、あの仕事の帰り道に出会った"ちゃんちょ"のせいだったのではないか、と疑っていたのだ。

「アンタって、ホント、『好奇心バカ』って感じね。」
その"ちゃんちょ"の一件について、こないだ僕のスペイン語のサークルの友人に話したら、電話口で大笑いされてしまった。
彼女にお気に入りのサルサのCDを何枚か借りたまま緊急入院してしまい、やっと連絡がつけられたのだ。

CDはいつでもいい、と彼女は言う。彼女は今、サンバ三昧なのだそうだ。
ひょんなことから、今年の浅草サンバカーニバルに強いチームで出場することになってしまったらしい。
世の中には、いろんな人がいるものだ。

浅草サンバカーニバルは8月の末、ということだった。うまくすれば、僕も退院して見に行けるかもしれない。

(彼らの名誉のために言っておくが、あの"ちゃんちょ"は時期的に考えて原因としてはちょっと疑いにくい、というのが最近の一応の結論である)

すっかり気分も落ち着いたところで、部屋に戻って来た。母はどっかに行ってしまっていて、姉だけが残っていた。

そのときに姉から聞かされて、思い出した。
母もリウマチを患っていて、ステロイドを飲んでいたのだ。

どうして適当なところで引いてくれないのだろう、と思いながら言いあっていたのだが、あれは要するに、ステロイドの副作用合戦だったのか、と、それで妙に納得した。そりゃ、どっちも引かないわな。

「ついついよけいなことを言っちゃうからね。」
と言って、母はしょんぼりと出ていってしまったそうだ。かわいそうなことをした、と思っていたが、しばらくしたら戻って来た。

昨日の昼前11:00ごろだったか。婦長さんが部屋に患者の様子を見に来た。
僕のところに来て
「調子はどうですか?」
と話しかけてきたので、冗談めかして

「オナカが空きました。」

と言ってみたら、

「副作用です。」

という返事が帰ってきた。ホンマカイナ、と思って、エラくウケた。
本当かどうかは知らないが、ステロイドの効果で、空腹感、みたいなものあるらしい。
こんなことまで副作用なら、世の中なんでも副作用だ。

その話を姉にしたら、姉もこの話がよほど気に入ったらしかった。
その話を聞いてからずっと、エレベーターに乗って帰るまでの間、彼女は目に触れるものあれこれにいろんな事象を発見しては、「副作用、副作用♪」と、いちいち副作用のせいにして遊んでいた。

今日は、婦長さんが来て僕の具合を尋ねてきたら、

「富士山が爆発します。」
「火星人が移住を計画しています。」

とか言ってみようか。

「副作用です。」

って、言ってくれないものかしら?

01/05/23

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