時系列のコンプトン効果
起きたのは5時ごろだった。とりあえずロビーにだけ出てみた。
天気はくもり、のようだった。無数の朝霧の細かい粒子のようなものが、静寂の空気の中に飄然と漂っていた。
日記を書いているノートを開いてみたけれど、書くことなどほとんどなかった。たいていのことは、もう昨日の晩に書いてしまっていた。
とりあえず僕は意味のない文字列を思うままにいろいろ書き連ねてみたが、結局それはなんにもならなかった。
(やはり僕には、欠けているものがある)
はっきりそう思わざるを得なかった。本当のことを言えば、書きたいことはあった。それに近いと思われる文字列をたぐりよせようとしていたのだ。
ただ、僕にはそれをどう書けばいいのかがまるで分からなかった。僕には分からないことが多すぎる。たぐりよせるには、まず、どうたぐりよせればいいのか分かっていなくてはならない。
7のことを書こうと思ったら、最低でも56ぐらいのことは書こうと思えば書ける状態でなければならない。
そして、今僕が持ち合わせているものは15がいいところだった。
それでも、消灯時間になってから寝るまでのことはいくつか日記に書けた。
朝は静かで、とても落ち着く。騒音から開放されるためには、特別な努力は何もいらない。
僕は、朝の時間をこうして特別何もしないで過ごす入院してからの時間のことがとても気に入っていた。
時間に追われていたころなら、こんなに早い時間に目が覚めたら、必ず何か行動すべきことを探している自分がいた。
今の僕には、早朝というのはCDを聞いたり、考え事をしたり、しなかったり。そんな時間だ。
昨日、友達からメールが来た。
「8月末に披露宴をやるからよろしく。」
という内容だった。返事は書けていない。退院の時期の話なんかもう出なくなってしまった。
モーツァルトの40番を聴きながら、僕はいろんな考え事をしていた。悲観的な話題もあれば、楽観的な話題もあった。それぞれ悲観的な観測もできれば、楽観的な観測も、しようと思えばできた。
窓の下に見える動体の数はそのうちに漸増してきて、病院の大きな窓ガラスを越えて、はるか眼下の騒音の気配ぐらいは聞こえてくることもあった。
そのうち6:30が近くなってきた。看護婦さんが検温に来た。
「おはようございます。いつも、ですよね。」
毎朝ここでこうしているのか、という質問に僕には聞こえた。
「いつも、ですね。朝は、おもしろいっすよ。」
「健康なときは、そうでもないでしょう?」
(???)
ああ、入院前からこういう風に朝を過ごしているのか、という質問だったのか。
「いや、そんなことなかったですよ。予定入っちゃいますからね。そんな、ゆっくりなんて。」
「ええ。」
彼女は、僕の腕に血圧計を巻いた。
「見てて飽きないですね。外見てると。このフロア、高いところにあるから。」
「前までは、ここの建物がいちばん高かったんですよ。」
そうなのか。
僕のいるフロアは7階だ。周りには、このフロアぐらいの高さの建物ならけっこう見える。
彼女は中堅の看護婦さんだった。
「へえ。じゃ、まわり全部見渡せたんですか?」
「ええ。冬だったら、富士山なんかも見えるんですよ。ホラ、あっちから。」
彼女は、ロビーの窓から斜めの方向を指差した。
「夏だとガスちゃって、見えないんですよ。やっぱり冬です。空気が澄んでて、とてもキレイなんですよ。」
「そうかぁ。じゃ、僕もがんばって、冬まで入院してなきゃダメだなぁ。」
そう僕が言ったことで、彼女はちょっと困ったようだった。非常口からのほうが富士山はよく見えるというようなことを言った後、僕の腕から血圧計をはずし、簡単な質問をいくつかしてから、彼女はどこかに行ってしまった。
ロビーの時計はちょっと進んでいるとはいえ、その針はもう6:30をまわっていた。「ロシア語会話」を見るためには、そろそろ部屋に戻っておいたほうがいい。
そうは分かっていても、まだしばらくここに残っていたいという気分が僕にはあった。気が済むまでここにいてそれから戻ったら、きっともう決定的になってしまうだろう。
そう思ったが、もうそれでも仕方ないか、という気にもなった。
しばらくどうしようかと思っていたのだが。
結局僕は起床時間のアナウンスのあとしばらくして、部屋に戻った。
01/06/24
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