ルクソールの恋人
今日の精神科の診療が午後3時の予約になっていると聞かされて、やはりそうか、と、今朝の僕はちょっとがっかりした。
火曜日の午後は、見たいテレビが目白押しだったのだ。
14:30-NHK教育テレビ歴史世界
15:00-NHK教育テレビ中国語会話
15:30-NHK教育テレビ人間講座「作家の誕生」
が、それらだった。
「外来が午前で、入院患者は午後」
というのは、よくある話だ。先週の金曜日にはじめて精神科に行って、そのときに次は火曜日だと聞かされたときからそうなるのではないかと思っていた。
「歴史世界」は、世界のあちこちの映像が出てくるのがおもしろいというだけで、正直なところ見逃さないではいられないというほどのものではなかったが、「中国語会話」と「作家の誕生」は僕にとってちょっと問題だった。
「中国語会話」ではまだ「ジゴロの部屋」で明明を見つけていないし、ボトルやグラスの配置についての知見も足りない、これから欠かさず見てAIHARAボトル他を研究しなければならないと思っていたところだったし、「作家の誕生」は、この時間以外の時間の放送は消灯時間の関係で見れないうえに、このあいだNHKの通販でテキストを買ってしまったばっかりだった。テキストは親切に書かれていて読めば分かるようになっているが、それならそれで、やはり予習をした上で猪瀬直樹の語りで30分を過ごしたかった。
15:00の予約だということは、要するにこれらは無理、ということである。
ヘルパーのAさんがお迎えに来たときは14:45ごろで、僕には何も準備ができていなかった。僕はそろそろ支度をしなくてはいけないなと思いつつだらだらしていた。朝から気分的に忙しくて、何もする気にならないままにこの時間になってしまったのだ。朝食から、CDも一枚も聴いていなかった。
彼女の来訪に僕はあわてて、手元に何か暇つぶしの道具を探した。待っている時間を退屈に過ごすことは僕にはできない。
何がいいだろうといろいろ思ったが、僕はNHKラジオスペイン語講座のバックナンバーのテキスト、9,10,11月号と西和辞書1冊をこのあいだ模様替えをしたテレビの上の棚の上から選んで持って行くことにした。おそらくできるであろう待ち時間を使って、上級コースの「めがねのマノリート」にひさしぶりに手をつけていこうと思ったのだ。
このあいだのNHKスペイン語会話でアルベルトの歌を聴いてから、僕の中で再びスペイン語熱がちょっと高まっていたのもあった。
とりあえずそれだけ持って、感染症対策のマスクをしてから僕はAさんの用意してきた車イスに乗った。
エレベーターの前に、ストレッチャーに横たわるOさんがいた。今日、手術後はじめての入浴らしい。彼はAさんのファンである。
エレベーターがすぐに来て僕らが降りていくまで、彼は喋っていた。
エレベーターを降りるとそこは下界だ。
「久しぶりだ。」
と言いたいところだったが、金曜日以来だ。久しぶりでもない。エレベーターを降りたところのロビーはいつもどおり、僕が自分のフロアでは感じないような独特の熱と湿気に溢れていた。
今日の僕は、本棟への渡り通路を見て、博物館にある巨大なシロナガスクジラの骨格標本の肋骨を連想した。
アルゼンチンのマル・デル・プラタにある古生物博物館にこんなでっかい骨格標本があったな、と僕は思った。
渡り通路は底板のすごく厚いかまぼこのような形をしている。かまぼこの長さは何十メートルとあり、上半分が開放されたガラス空間になっていて、その登頂部には通路方向に軸になるように一直線にこげ茶色のパイプが走っている。そこからさらにおよそ2メートルごとにリング状に上半分の半円の形をしたパイプがまたそこから直角に枝別れして全体を抱えるように発達して走っている。
まるで脊椎動物の肋骨のような構造だった。
今日の僕はAさんに、その渡り通路がいかにシロナガスクジラの骨格のようであるか、ということを、その通路を通る間力説しつづけた。
渡り通路が終わって本棟につけば通路の終わりにある案内板もまた博物館のエントランスにありがちなものであると主張し、備え付けの自動販売機は博物館のプログラム自動販売機のようであると主張し、通路を入ってすぐのところにあるいくつかのベンチはまるで老人が博物館のアトラクション付近の出入り口で自分たちの孫を待つためにあるベンチかのごとくである、と延々と主張した。
その先にあるタッチパネル式の案内板はあたかも博物館や水族館にありがちな3択クイズ機械だと僕が主張したところで、Aさんの手により車イスは右に折れてエレベーターに向かった。
精神科はこの病棟とはつながっていない。病院は大きな道を隔ててちょっと離れた場所にある2つの大きな建物から成っていて、両者の間を連絡ワゴン車が走っている。
ワゴン車は、それぞれの建物の地下を発着点としている。
まるでルクソール東岸と西岸、ナイル側のような関係だ。
僕にとっては、道路の向こうは西岸である。乗りものを使わないと行けないところだし、宿もない。用事をすませたら帰ってくる。違いと言えばその用事が観光か診察かの違いぐらいで、道の向こう側は死者の国なのだと言われたとしても、僕にはそんなに違和感は感じられないところだった。
地下1階まで降りてくるとまたさらに湿気が強かった。
「暑いわね。」
とAさんが言うので、僕は返事をした。
するとAさんからは、
「寒いからやめて。」
という答えが返ってきた。
ワゴンの出発は15:00で出発までちょっと時間があった。
他にワゴンを待っている人はいなかった。僕は待合室の備え付けのテレビをNHK教育にした。
教育テレビでは、まだ「歴史世界」をやっていた。
話題は中米文化とスペイン人の侵入の話だった。古来から当地で食されていたトウモロコシの話題や、スペイン人の侵入により先住民の人口が2000万人から一時は100万人にまで減ってしまったこと、カトリックへの改宗がどうのこうの、という話が出てきた。
語り手の女性は棒読みでつまらなかったが、映像は楽しめた。今では先住民の人口は800万人まで増え、古来からの土着の文化を見直そうという動きが活発になってきた、とかそういう話が最後のほうに出て来た。
15:00になって、中国語会話が始まった。
・・・と思ったところで、ワゴンが出発することになった。
相原教授が中国文字当てクイズを出題している途中で、僕はテレビの電源を切らざるを得なくなった。
(せめて、オープニングソングで稚広ちゃんが投げキッスをするところまでは見たかった)
そう思うと、僕はたまらなく残念であった。
ナイル側西岸での診察は、到着の1時間以上後になった。僕の予想どおりだった。やっぱり暇つぶしを持って来て正解だった、と僕は思った。
およそ1時間の間に、僕はラジオスペイン語会話10月号の上級コースをおよそ3/4終わらすことができた。
以前にその半分ぐらいはサークルでやったことがあったが、それを差し引いても上出来であった。
最近、集中力が高まっている。
僕の担当の先生は、意外にも女医さんだった。「意外にも」というのは、彼女の下の名前が女性を連想させるものではなかったからである。
初めて会う人だったので、結局今日は、僕がこの間と同じ話をくりかえして、同じような回答を受けて、それに対してこの間とちょっと違うことを答えてみる、というところまでだった。
最近の治療効果の好調さを受けて、僕自身の感想もちょっと変わっていた。
テストは持って来たかと聞かれて、僕は、忘れたと答えた。この前に渡された宿題のことだ。忘れないようにと机の上の目立つところに置いておいたのだが、この段になって聞かれてみるまですっかり忘れていた。
金曜日にロールシャッハテストをやるからそのときでよいと言われた。他にもいくつかテストをしたいということだった。
僕のほうから聞いたのは、他にもこういう動機で精神科に相談に来る人間はいるのかということだった。
退院へのモチベーションを失う人はいる、と彼女は答えた。退院の時期が見えなくなったり、入院生活が長くなってきて慣れてしまった人にはある話だという。
ただ、それで相談に来るほどの人はそれよりだいぶ少ないということだった。
今充実して楽しいと思えるのならそれはそれでいいのではないか、退院したらしたで、どうせ君なら何かやることを見つけられるだろう、と僕は言われた。
それはそうなのだが、まわりのみんなが僕をシンデレラにしようとしてるのに当人にはその気がない、そのことが今の問題なのだ、と僕は答えた。
今日はそこまでだった。
来週また火曜日に診察、ということになった。
僕は15:00-16:00の間はNHK教育テレビを見たいから折り合いがつくなら避けたい、とリクエストした。次回は16:00ということになった。
東岸に帰ってきたが、お迎えは来ていなかった。ラジオスペイン語講座のテキストを読みながら、僕はお迎えを待った。
待っている間に、すごい話を聞かされてしまった。僕は、テキストから視線をはずさないままに凍りついた。
だいぶ経ってお迎えに来たのは、ヘルパーさんのひとりのよく知らないおばちゃんだった。
彼女のことは、まるで知らない。
彼女に車イスを押してもらって待合室を出た。しばらくしたところで、僕は彼女に話しかけた。
「おばさん、に、お迎え来てもらうの、はじめて、ですよね。」
「あら、そうだっけ。そうだったかしら。」
今待合室で聞いた話のバックグランドについて何かの知識を得ることは彼女からは無理だろう、と僕は思った。
エレベーターで2階に登ってきた。エレベーターから鯨の肋骨が見えた。
鯨の肋骨はエレベーターからはTGVのような近未来型高速鉄道の胴体のようにも見えたし、ムカデのような無限の節足動物の一部のようにも見えた。
僕は、だまってそれを見ていた。
エレベーターを下りて、入院棟に戻る道を進んだ。
タッチパネルはやはり3択だったし、ベンチはやはり博物館のアトラクション付近にある老人が孫を待つためのものだった。それから先に鯨の肋骨が見えてそれはやはり鯨の肋骨に見えた。肋骨への入り口のところでようやく物かげから僕の目に留まった案内板も自動販売機も、やはりそれらは博物館のものだった。
僕はかなり憔悴していた。もう17:00をまわっていた。2時間半ぐらい座りっぱなしだったことになる。寝転がらないままでそんなに長時間いたことはもう入院以来なかったはずだ。
おまけに、その間僕はずいぶん集中して勉強したり喋ったりしていた。
入院棟のエレベーターのドアが開いてフロアに戻って来たとき、僕はおばちゃんにリクエストした。
「このまま、トイレまで運んでください。」
彼女は僕をトイレの前まで運んでくれた。僕はよろよろと立ち上がり、持っていた辞書とスペイン語のテキストをそばにある洗濯機の上に置いた。
「それ、持って行っておいてあげようか?」
僕は彼女にそう聞かれた。ありがとう、でも自分で持って帰る、と僕は答えた。
01/07/03
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