ミヤコ様のやりきれない気分

ミヤコ様のやりきれない気分


今朝の工事は五差路のところのみ。手前内側の道だけを相手にしている。
向かって左の横断歩道のところには柵がしてあって、人が渡れないようになっている。左側から交差点の中央ぐらいまでやはり真ん中に柵が続いていて、向こうの信号からこっちに来て右折しようという車は、信号のところで本来の希望よりずっと大回りをしないとそこの柵を迂回できないようになっていた。
工事は五差路のところから、僕のいるロビーの窓からは見えない手前側に消えていく左側の道にずっと続いているようだった。視界にある範囲では、交差点側には緑、向こう側には黄色の、少なくとも2台のロードローラーが動いていた。交差点には、蛍光ベストをつけた作業員の姿もいくらか見えた。しかし、その一方で警備員の姿がまるで見えないことが僕にはちょっと不思議だった。
交差点より右側、街道が左に曲がっていってロビーからよく見える側のほうは、交差点のところから学校の白い建物の影になっていて、工事が交差点からさらに右側に続いているのかは分からなかった。しかし、学校の影から再び道が姿を出してくる先に見える歩道橋のあたりにはもう工事現場のものと思しきものは何も見当たらなかった。


いつも「五差路」と呼んでいた病院のすぐ下の交差点が実は五差路ではないということに、このときはじめて気がついた。街道は直線で、それに突きあたる形で駅からの商店街の道がぶつかっている。さらにその道の交差点のところちょっと手前のところに、こっちから見て左から別の道が突きあたっている。四差路だ。五差路ではない。
どうして「五差路」だと思っていたのだろう。道の数を数えれば、分かったはずだ。

数えれば分かることだったが、いや、数えなくても分かったはずだったのにそうしなかったのは、きっと交差点のところからすぐに視界を遮ってしまう学校の建物が、その影に僕の期待にあわせた錯覚を用意して認識させていたからだろう。
しかし、学校は病院に並んで街道沿いに広く敷地を埋めている。もとより、この影になっている空間に新たな道のイメージも湧くはずがなかった。
僕は若干苦慮した。

そうしてさらによく見てみると、交差点で僕の視界を遮っているその白い建物。
これは学校の施設だと思っていたのだが、これもまた、隣にグランドを構えている学校の敷地内の建物でもなんでもないように見えてきた。この白い建物とグランドの間にあるうすベージュ色の建物もそうだ。
これらは、いったい何なんだろう?
僕は、とりあえずその白いほうの建物が何なのか気になってきた。
見える限りは、この建物は壁が白で屋上の人間が動き回れるスペースは緑色をした、ごくありふれた建物だった。
しかし僕はまるで不可解な気分だった。僕は、いろいろと確かめてみたくなった。

でも、ロビーの窓からのその建物の構図には限界があるし、今の僕にはそれを確かめるというぐらいの理由でこのフロアから出ていくこともできない。

そう思って見ていると、モップを持ったひとりの男が、白い建物のこちら側手前の壁のところに道のほうから急に姿をあらわして、白い壁の部分を磨きはじめた。
はじめて見る光景だと思って見ていたら、すぐに消えてしまった。あまりきちんと磨いた感じはしなかった。
僕は、これ以上この話題について考えるのをとりあえずやめた。

天気がよくて、視界にある街道沿いのマンションやらガラス張りのテナントビルやらが、鈍い黄金色に光っていた。太陽は視界の左側、僕の位置からは見えないところから昇ってきているから、駅の方向に目をむけると、こまごましたいろんな建物の光があたる部分とそうでない部分のコントラストを楽しむことができた。

30羽ほどの鳥の一群が、建物の平均座高の低くなっているあたりで盛んに弧を描きながら密集してはばたいていた。あの行動にどういう意味があるのか僕は知らない。
鳥というのは不思議な生き物だ、と僕は思った。

モーツァルトのピアノソナタ10番を聴きながら日記を書いていたら、ミヤコ様が来た。
サングラスをしていて、髪がおおくて重たくて、ずんぐりしてむっくりしている。むっくりしているから、腎臓病なのかもしれない。
見慣れない顔だから、新しい入院患者なのだろう。
彼女はやれやれ、という具合に僕の視界の正面に座り込み、そうして話しかけてきた。

「おはようございます。」
「おはようございます。」

こんな時間から起きているのか、眠れないのか、と、僕はいろいろ聞かれた。その度に僕はイヤホンをはずして答え、そしてまたイヤホンをつけた。
幸い、彼女の質問はそんなにたくさんは続かず、そのうち彼女はまたなんだかやりきれなさそうにどこかに行ってしまった。
きっと彼女は、眠れなくてこんな時間から起きているのだろう。

僕は時計を見た。もう6時だった。もうすっかり朝のこんな時間にそんな質問をされるなんて。

「スペイン語会話」と「英語ビジネス・ワールド」の予習をしていたら、看護婦さんが検温に来た。もうあと10分ぐらいで起床時間だった。工事現場は、10分ぐらい前に完全撤退していった。

いくつかの質問をしたあと、彼女は僕の血圧を測った。
「今日も暑くなりそうですね。」
そうかもしれないけど、どうだか分からない、と僕は答えた。
「看護婦さん、暑いのキライでしょう。」
「ああ、はいー。キライですー。」
やっぱりそうか、と僕は思った。
「寒いほうがいいでしょ。」
寒いほうがよい、と彼女は答えた。
「だって、寒いんだったらどんどん着ていけばいいじゃないですか。暑いからって、どんどん脱いでいくわけにもいかないですしー。」

いっこうに構わないから暑いときにはどんどん脱いでくれ、暑くないときに脱いでくれてももちろん構わない、と僕は言った。

検温は終わった。

01/07/11

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