将棋界の一番長い日
将棋界の一番長い日
というタイトルの番組がある。将棋A級順位戦最終局を実況中継する、という番組だ。平成10年3月、NHK衛星第一放送で放送されたのが最初である。以後、毎年放送しているようだ。
(注:この記述は誤りであると、最近、大学の後輩である某氏から指摘を受けた。平成10年より以前からこの番組はあったということである。本来修正して記述しなおすべきだとは思うが、これを書いた当時の文章は基本的にいじらないことにしているので、ここに注釈を入れるだけにする 03/04/25)
なにしろ入院中でちゃんと調べものができないのでいいかげんな僕の記憶ばかりを主に頼って書いてしまうが、この最初の年というのが、すごい番組だった。
将棋A級順位戦は、10名の棋士による総当たりリーグ戦である。
このリーグで1名の名人挑戦者が決定され、2名のB1組陥落者が決定する。
前年の成績により、A級の10名はあらかじめ順位がつけられている。前年の成績が同じ場合は、その前年の順位が優先されている。
最終局前の時点では、まず9位の高橋道雄9段の陥落が決定していた。
ところが、もう1名が、大混戦状態で、まるで見えない状況であった。
最終局の時点で陥落の可能性のあるのは、
8位 米長邦雄9段 3勝-5敗
10位 井上慶太8段 4勝-4敗
の2人で、米長9段は最終局で7位ながら4勝-4敗の加藤プロと対決することになっていた。井上8段は、5位で4勝-4敗の島朗8段と対戦することになっていた。
陥落は2名。普通、4勝もすれば陥落するものではない。
最下位ながら最終局を残してすでに4勝をあげている井上8段がまだA級残留を決定できていないということが、この年のA級順位戦の死闘ぶりを物語っていた。
星数が同じ場合は、順位の低い棋士が自動的に陥落してしまう。
つまり、
井上8段敗け→米長9段勝ちならば井上8段陥落、米長9段敗けならば、米長9段陥落
井上8段勝ち→米長9段陥落
という状況であった。米長9段にとっては、この対局での勝利は最低条件、さらに島8段に井上8段から勝利してもらわなければならないという、いわゆる「他力」という状態であった。
米長9段は、当時年齢はもう50代半ばであったが、名人になったこともあり、長期間に渡って常にA級に在位してきた、将棋ファンなら誰でも知る強豪である。
この対局の前に、米長9段は、陥落した場合はもう順位戦には出場しないという趣旨の発言をしていた。棋界最高峰であるA級でなければ将棋は指さないというのである。すごい覚悟だ。
B1級の順位戦で好成績をおさめる以外に、A級復帰の方法はない。A級順位戦で勝つ以外に、名人挑戦の方法はない。
米長9段は、人気棋士であった上に、まだまだ強かった。そのことは誰もが知っていた。
米長9段ほどの棋士がそういった将棋界の晴れ舞台には登場しなくなるとなれば、それは大事件である。
多くの将棋ファンが、まだまだどんなことがあっても米長9段の将棋を見たいと思ったものである。
A級順位戦最終局がテレビで放送されるというだけでも大事件だったが、米長9段が陥落してしまうかもしれないとなれば、それもまたものすごい大事件だった。
この順位戦最終局の行方には、多くの視線の注目が集まっていた。
番組は夜に始まった。
当時B1組に在籍していた人気棋士田中寅彦9段の解説で進んだ。
はじめて見るA級順位戦の世界は、ものすごいものだった。
恐ろしいぐらいの緊張感が、画面のむこうから伝わってきた。
僕は番組の最初から、まるで動けなくなって固唾を飲んで見守っていた。
同日に行われる5局の対局は、それぞれ違う対局室で行われる。いつもテレビ対局で観るような盤面を上から見た絵が5局それぞれに対して繰り返し映り、ときどきは横からの映像も映り、対局者の表情も見えた。
田中9段はあるときは冷静に、あるときは対局者の思考に驚嘆しながら、それぞれの対局の進行を解説していった。
米長9段の対戦相手の加藤プロというのも相当に強い。
なにしろ、加藤一二三九段だ。
「1239段」という程度ではない。縦書きにしてみるとよく分かる。
加
藤
一
一
一
一
一
一
九
段
つまり、「かとうひふみ くだん」ではない。「かとう ひゃくじゅういちまんせんひゃくじゅうくだん」だ。
並みの強さではない。江戸時代まで溯っても、そんな棋士はいない。
一日10段昇段していったとしてもそこまで行くには300年以上かかるという計算だというのに、当時の彼の年齢はまだ50代後半だった。
当時B1組に在籍していた福崎プロも、「福崎文吾8段」とは仮の姿で、実は縦書きにしてみると、
福
崎
文
五
○
八
段
「ふくざきぶん ごひゃくとんではちだん」だ。かなりの強さだ。
しかし、所詮加藤プロの比ではない。ある試算によると、福崎プロも並みの9段より56.44倍以上強いが、加藤プロはそれに比べてさらに2,187.24倍は強いらしい。史上最強である。
加藤先生は、ヘタをすると"玄妙道策"と異名を取った江戸時代の名人碁所本因坊道策よりも強いかもしれない。
「子供のころには『神武以来の天才』と呼ばれていた」という話も、納得である。
もっとも、そんな彼にもきっと、「加藤 いちおくいっせんひゃくじゅういちまんせんひゃくじゅういち 級」なんていうときもあったには違いないのだが。
他にも、例えば
「『サントリー料理天国』に出演していた『九十九一(つくもはじめ)』は果たして強いのか弱いのか」
という問題について僕は複数の友人と議論をしたことがあるが、どういう結論だったかについては、今回はあえて触れるつもりはない。
・・・冗談はさておき、とにかく、それぞれの対局は進んでいった。加藤9段、米長9段の対局は一進一退という状態だった。井上8段は、島8段に対して優勢に将棋を進めていた。
番組は2時間程度の放送予定だったが、そのころには、まだ何も決まっていなかった。名人挑戦者が誰になるのかも見えなかったし、陥落が井上8段になるのか、米長9段になるのかもまだまだ分からなかった。
そして、そんなことよりも何よりも、5局すべてから伝わってくる緊張感、田中9段の解説、すべてがすばらしかった。
全対局の行方を知らずして番組が終わってしまうなんていうことがあってはならない雰囲気だった。
どうにかならないか、と思って固唾を飲んで見守っていたら、番組の最後の最後の時間に来たところで、「全対局を最後まで放送する」と、番組の中で知らせがあった。視聴者からの請願が殺到したのだろう。
さらに時間が進んだ。
迂闊にテレビの前を離れてしまうことも許されない緊張感の中、いろいろあった挙げ句に、米長9段に勝ちが見えてきた。
ところが、島8段-井上8段戦で、勝ちの見えなくなった島8段が、別の対局室で先に投了してしまった。井上8段が勝利をおさめたのである。
この瞬間、米長9段の降級が決まった。
米長9段は、このときそれをまだ知らない。
そのあとさらにしばらくして、加藤9段が投了した。米長9段の勝利である。
投了の場面から、加藤9段-米長9段戦の横から見た絵になった。
このレベルの対局だ。勝負は決着したが、両対局者ともまだ緊張に包まれている。両者とも無言のまま、その動作は緩慢だった。
そうすると、対局室の奥の襖を開けて、取材陣がバタバタと入り込んできた。
ものすごい数だった。
フラッシュが盛んに焚かれ、米長9段はバシャ、バシャと写真を撮られた。
画面が解説室に切り替わり、聞き役の女性が、田中9段におそるおそる尋ねた。
「米長先生は、どうなんでしょう?井上先生、のほうの結果は・・・。分かってらっしゃるんでしょうか?」
田中9段は答えた。
「いや、もう分かってます。はっきり分かってます。誰も言わなくても分かってます。これだけの取材陣が来たということがどういうことなのか、米長先生にはもう分かっています。」
米長9段に焚かれるフラッシュの勢いは衰えることはなかった。
彼は終始無言だった。
4勝5敗という成績で彼はA級から陥落し、順位戦から姿を消した。
僕は特別米長9段のファン、というわけでもなかったのだが。
それからしばらく、「将棋世界」も、「近代将棋」も、書店で見かけても開いてみようという気にはなれなかった。
01/05/27
管理人にメールする
「テレビの感想」トップへ
こねこねのさいとトップへ