N響アワーの5人の人物
昨日のN響アワーは、「モーツァルトを料理せよ!」というタイトルで、日米ハーフの指揮者アラン・ギルバートを主役にした番組だった。
曲目はアイネ・クライネ・ナハト・ムジクと、交響曲36番リンツであった。
モーツァルトは素材としてシンプルで、その中のスパイスをどう生かしていくかが面白さだ。
というのが、池辺晋一郎とアラン・ギルバートの言うことの総合だ、と理解した。
たとえば、リヒャルド・シュトラウス等の近代の作曲家の曲と比べると、譜面にあれこれとたくさん書かれていないところが「味つけのしがいのあるところ」らしい。
・・・とは言われても、ちゃんと聴くのははじめてだし、演奏を聴いてみても彼の指揮であるが故にどこがどうおもしろかったのかまでは、分からなかった。
ただ、池辺晋一郎にはとてもおもしろかったらしい。どの楽器の使い方がどうの、ばよりんのG線の開放弦を頻繁に使っているのをどう生かしてどうのこうの、と、「アイネ・クライネ」のあと、彼はとても楽しそうであった。
直後にアラン・ギルバートについて語っているときの彼も、楽しそうであった。
そういう形で楽しそうなときは、彼からダジャレが出てくる心配はない。集中しているからだ。
アラン・ギルバートについては、聞き取りやすい英語を喋るな、というのが第一印象。相手が日本人であることを意識していたのか。使っている言葉に簡単なものが多かったのは、意識してそういう言葉を使っていたのか、要するに彼が難しい言い方をしない人間なのか。
よく分からなかった。
彼の指揮を振っている様子はおもしろかった。
檀ふみについては、今日はまた違う感想を持った。
彼女のこの番組での役割はおそらく池辺晋一郎と一般視聴者の橋渡しなのだろう。
だが、彼女自身が自分で一般視聴者の側の人間なのだ、と強く意識しているような気がした。
ムリをしているな、と感じるシーンと、自分を落として安心しているような感じのシーンがある。
つまり、話の分かる聞き手という役割なのだがそれには力が足りない、という意識が彼女の中にはある。
それでもムリをしてその役割を演じなければならないという気持ちと、私には分かりません、という気持ち。
ムリしているときには池辺晋一郎に対して自信がなく、自分を落としてしまうと今度は視聴者に対して自信がなくなる。
番組を見ていて、彼女の中でその2つが交互に出たり入ったりしているような気がした。
池辺晋一郎のダジャレが出てくるのが彼女がそのどちらの状態のときが主なのかまでは今回は見れなかったが。
僕の予想では、彼女がムリをしているときだ。
たぶん、彼はダジャレを言うことで、そういうときに何かを逃がしている。
今日は「第1週ということで」、番組の終わりでN響団員紹介をやった。
梅沢某、という女性のばよりにすとが紹介された。
池辺晋一郎の先輩ということだったが、品のよさそうな人だった。きっと、品がいいのだろう。
出産の一時期を除いてずっとN響を続けてきた。家庭と両立させてきた。音楽に対する姿勢も厳しい。
そんな紹介だった。そんな感じだった。
彼女への取材と他の団員に聞く彼女の評判がこのコーナーの柱だった。
そんな彼女の転機になったのが数年前の病気での長期療養だった、という話がおもしろかった。
それで、ゆとりの時間について考えるようになったとか。
それから行きつけになったアンティークショップがあって、彼女は毎日のようにそこに通っているとか。
「仕事のあと家庭に戻るときの切り換えの時間です。」
みたいなことを彼女は言っていた。
音楽家とゆとりの時間との関係が、よく分からない。どんな生活スタイルが彼らのスタンダードなのか。
個人事業者の言うゆとりの時間とサラリーマンの言うそれとはきっと違う。
でも、病気での長期療養が転機になるというのは、今の僕にもよく分かる話だ。
「アイネ・クライネ」、「リンツ」どちらもよく出来た曲だな、と思ったのだが。
特に後者に関しては、なんだか聴いていて僕は、手合い違いの置き碁で圧勝するまだ自我の目覚めていない少年を思い浮かべた。
急所も筋もヨセもはっきり見えていて、シナリオどおりに進んでいく。
相手が考える時間を惜しんで譜面を進められるだけ、モーツァルトのほうがだいぶ恵まれていたことであろう。
曲と指揮者と演奏家で演奏の質感はいろいろと変わってしまうということはなんとなく分かるが。
正直、どれほどまでに変わるのか、までは僕には分からない。
この間N響でモーツァルトの40番、41番をやったときには僕の手元のCDとそんなに違うとも感じなかった。
僕の中では同じ曲だった。テレビで違う楽団違う指揮者の演奏を聴いたからといって特別印象が変わったわけでもなかった。
ところが。
N響アワーのあと連続して教育テレビでは「芸術劇場」というのをやっているのだが。
なんとなくそれのオープニングを見ていたら、「モーツァルト3大交響曲を古楽器で演奏する。」みたいな企画を22:30ごろからやるのでよろしく、と、41番の第一楽章の始まりを演奏しているシーンが流れた。
これが、よかった。びっくりした。僕の知っている「ジュピター」ではなかった。
それだけ聴いて寝ようかとも思ったのだが、もともと本当は消灯時間が21:30なのを粘ってテレビをつけていたし、N響アワーが終わってすぐ寝てしまおうと思ってミンザイをもう飲んでしまっていた。
番組表を見ると、この番組自体が深夜0:00までとも書いてあった。22:30からすぐに演奏が始まるとも思えない。
どうしようと思う間もなく薬が効いて結局寝てしまったのだが、何がどう違うのか僕なりによく聴きたいところだった。
01/07/02
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