画家 安野光雅

画家 安野光雅


NHK教育テレビ夜8:00からの「新日曜美術館」は、はじめて見る番組だったが、なかなかおもしろかった。

美術館巡りとかそんな感じの連続企画の一環らしく、昨日は、安野光雅が紹介された。彼は、絵本作家であり、旅する画家としても知られるという。

番組は彼の絵本の紹介から入った。総合司会のひとりの女性か今回の彼への聞き役のエッセイスト阿川佐和子女史だったかが、彼の、処女作かな?の「ふしぎなえ」という絵本を持ち出して来て、その本との出会いの話なんかをした。彼は、その絵本でだいぶ前に国際賞を受賞することで、一躍この世界で有名になったらしい。
なるほど、スタジオには彼の絵本や風景画集がたくさん並べられたが、どれも魅力的なものだった。


安野光雅氏が登場した。50代というところか。安野光雅美術館というのが島根県津和野にあるらしい。その風貌は、ひとことで言えばトトロのいちばんデッカイのという感じだった。田舎で子供時代を暮らしをしていた人だそうだ。

美術館に収蔵されている「絵本 平家物語」というのが今期間限定で展示されているということで、彼と女史が順に美術館をまわる。
彼女が、
「たくさんの登場人物が出てきますけど、皆表情がそれぞれ違うんですね。」
と言うと、彼は
「それぞれの人物のことを、せっかく描くのだから、いろいろ考えるんです。この人には奥さんと娘さんがいて、とか、この人にはおばあちゃんがいて、とかね。」
ふんふん、という感じだった。
彼の絵は本当に人物の表情が丁寧だ。


絵本を描くときの話になって、彼の「ふしぎなえ」の話題になった。
彼女がおもしろいと言ったのは、上下の感覚がはっきりしなくなるような絵だった。

「子どもの頃ね、こうしてよく遊んだんだよ。」
そう言って、彼は、大きな鏡を持って来て縁側の床に置いて、それを覗き込むように彼女に言った。

床に置いた鏡の中には、不思議な世界が広がっていた。
天井が地下になっていて、そこに扇風機が下から生えて伸びてきていて、こっち側を向いて回転している。
照明も、地下の床から光っている。
彼女は当然驚いた。

こうしていつも遊んでいた、そうしていろいろ想像して遊んでいた。
そんなようなことを、彼が言った。


次に、彼の風景画の話題になった。
故郷津和野の風景を描いた画集が彼の風景画集の最初だったのかな?

「故郷とは、土地そのものではなく人それぞれの子供時代のことだと思う。僕の画集を通して、僕は、いろんな人と故郷の話をしたい。」
そんなことを彼が言った。彼の絵は、ひとことで言えばやさしい。

今日でも、彼は毎年写生旅行をしているそうだ。絵にしたくなるものを見つけると、その場で愛用のイスと絵を描く道具(水彩道具だったかな?)を持ち出して、描きだしてしまうらしい。
スタジオで紹介された彼の風景画集もたくさんあった。いろいろおもしろそうだったが、とりあえず表紙の絵とタイトルから、「イタリアの丘」、「イタリアの日ざし」は今手元にほしいと思った。
僕は、トスカーナの地方を旅行したときに見たものをもういちど見たい。

でも、今考えてみると、彼の画集の海外ものらしいタイトルって、オランダとかドイツとか、イギリスとかの、欧州のしかなかったな。僕が気がつかなかったのだから、たぶん、本当にそれしかなかったのだろうな。

「ウガンダ」

とかが紛れ込んでいたら、僕が気がつかないわけがない。


とにかく、小さい頃から絵を描きつづけていたそうだ。絵を描かない日はないというぐらいだったらしい。
「あんまりきちんと描きすぎると、模写したような気がしちゃって、描いたような気にならない。」
「赤や黄色といった強い色があると、つられて他の色も強くだそうとしてしまう。それで絵のバランスを崩しそうになって、逃げ出したくなることがある。なんとか落ち着かせたい、と。」
「司馬遼太郎氏と『街道を行く』の挿し絵を描くためにずっと同行していたとき、彼に『へぇ。安野さんは、こんなものまで絵にしちゃうんだ。』なんて言われたことがあったな。」
なんていう話をどんどんしていた。

文章もよく書く人らしいが、それよりも、とにかくよくしゃべる人だなという印象を持った。そんなにしゃべらないでもよさそうなものだが。
最初は、番組の構成上仕方ないのかな?と思いながら観ていた。彼がしゃべっているシーンを選んで編集しているのはTV局なのだから、と。
でもそのうち、やっぱりそれだけではないのだろう、と感じるようになった。
編集だけでは、ああまでよくしゃべっているような雰囲気にはできないだろう。

(どうして、こんなによくしゃべるのだろう?)

僕は、番組の途中からそのことが気になってきた。

そうしていろいろ考えながら彼を見ていて、彼は、おそらくまだ描き足りないのだろう、と思った。

「平家物語」だったかな?の海上で弓を射抜く有名な場面のちょっと前のシーンを捉えて敢えて描いてみたり、グラナダの宮殿でも、そこでなくてもありそうな風景の絵をで敢えて描いてみたり。いろいろ工夫しているようだが、たぶん、彼は自分のイメージを自分の切り口からはまだ吐き出しきれていないのだろう。「絵本 平家物語」のときに感じた印象も、そう言えばそうだ。彼のバックボーンのイメージは、豊かすぎる。
それでも自分の切り口で吐き出しきることを目指して、今でも彼は自分のスタイルで、旅をして絵を描いて、ということを続けているのだろう。でもその一方で、その切り口ではどうしても切り出し切れない伝えたいことがあって、ガマンできないから画集につけた言葉が長く続いたり、こういう機会にいろいろとしゃべってしまう。
もしそうでなければ、彼的には十分に今の切り口で伝えきれると思っているのに、まわりがそれについていけてないか、ということかもしれない。
そんなことを、思った。

彼がこれほどしゃべらなくなるのはいつのころだろう?
僕はちょっと考えてみたが、よく分からなかった。
「絵本作家、そして旅する画家」
ということで世間では知られているが、あるいは彼はそのうちぜんぜん別のスタイルもはじめてしまうかもしれない、そんな気がしないでもなかった。


番組の途中で、津和野の彼のフィールドで次々に描いた植物なんかの間に小人が遊んだりして暮らしている絵がいくつか紹介された。

「小人は、安野さん自身の少年時代の姿です。」

というナレーションがあったが、僕は、まずそれは違うと思う。
あれは彼自身のデフォルメではない。風景のポテンシャルを見える姿に仕立て上げるときに、半ば無意識と意識の混沌ぐらいのところで描いただけだ。もちろん、ある意味彼とも一体化しているのだろうと思うが。
彼自身が僕に面と向かって「あれは少年時代の僕だ。」と言わない限り、僕はそうは信じない。
もっとも、言われたぐらいでもおいそれと信じるつもりはないが。
「と、でも言うしかないか。」
とか、必ずそういう言葉が前後に来るはずだ。

でも、そのとき出て来た最後の一枚、だったかな?
蜜蜂が自分の持っているピンク色のコップから花の上にいるひとりの小人に蜂蜜をこぼしてあげているシーンが入っている絵があって、これはすごく印象に残っている。

阿川女史が、
「安野さんの絵は、懐かしくなるような絵ですね。」
と言いたくなったのは、つまり、彼が風景の持つポテンシャル(風景に限らないが)に非常に敏感で、またそれをよく表現できる画家だということなのではないか。そんなことを僕は思った。

絵には人間が出るものなのだな、と僕は思った。

01/06/18


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