茶室を訪ねる

茶室を訪ねる


このネタについて書くのが今日だということが、正直なところ遺憾だ。
本当は、先週火曜日の初回放送を見た直後に書きたかった。
ただ、火曜夜からの放送が終わったのはもう消灯時間後だったし、翌朝になってメモを見てみても、僕には書きようがなかった。知らないと書けないことだらけすぎたのだ。
そういうわけで、今日昼からの再放送を見てメモを補足して、やっと今書きはじめている。


簡単に言えば、この回の「茶の湯」は、昔の大茶人の造った茶室をいろいろ訪ねてその心意気を楽しもうという内容だった。

千利休建築の「待庵」が最初に紹介された。400年前に建築された国宝である。
茶室の広さはわずかに畳2畳。主人が茶を立てるすぐそこで客がその茶を戴く、という狭さだ。
「非常に厳しい空間です。」
という久田宗匠のお話だった。

どんな人でも名人として扱え、一度の茶会ではないか、と亭主も客人も心を汲む侘茶の精神をとことん追求していくとこうなった、ということである。茶室を小さくして心を交わそう、という趣旨らしい。
待庵には窓も3つしかなく、全体に採光も暗い。
にじり口も、待庵からの採用らしい。
しかし、例えばその代わりに天井の一部を張らないで屋根裏を見せて開放感を出したり、床の中を塗りまわして深く見せたりと、客に2畳という狭い空間から感じる緊張感を持たせないように随所に工夫がなされている。

窓の配置、大きさにも工夫が凝らされているらしい。
あまり明るすぎると道具が見えなくなるということでの、これまた利休の工夫だそうだ。

1.異風になく
2.結構になく
3.さすがに手際よく
4.目立たぬように

という言葉が出て来た。ゲストの数寄屋建築に造詣の深い大学教授からだった。
もてなしの空間についての言葉らしい。


番組では、他にもいくつかの茶室が紹介された。
もうひとつおもしろかったものは、小堀遠州の「山雲床」。
大名であった彼が目指したのは、彼の日常の空間である書院を茶室とすることだった。

そのために「舟入り」という出入り口を採用した。貴人口というらしい。
広い入り口なのだが、上部が制限されていて、にじり口のような感覚での茶室への入りができるようになっている。
そしてまた、この出入り口が茶室から見える外の空間を制限していることが茶室のとしての空間を演出している。
中柱を置いて、侘茶の空間としての雰囲気を出したりもしている。

彼によれば利休の意識していたほどの緊張感のある空間はやりすぎだということらしく、山雲床では窓の採光もよく、床の間にも墨石窓と呼ばれる窓が開いていて客が床の拝見をしやすくするように工夫がされていたりする。

他にも、閑隠席という、利休150年忌に造られた茶室も紹介された。これはまた、利休存命ならこのような茶室を造ったであろう、と当時の茶人が造ったものらしい。

「茶室を造った人の心意気が云々。客人も茶の席でそういうものを楽しめて云々。」
という久田宗匠のお話であった。


・・・ほとんど消化できないで書いているのだが。
とにかく、茶室を造った人物のもてなしの心はよく伝わってきた、と感じた。

今晩の放送内容は、「茶席の花と菓子」だ。これも見逃せない。

この番組の第1回は、「もてなしとは何か」というタイトルだった。
もてなすほうともてなされるほうとではどちらが楽しいかという話にいつもなるのだが、まあ、あれやこれや準備をする楽しみがあるだけ、もてなす側が6、というぐらいに楽しいのではないかという話にいつもなる、とか、そういう話だった。
客を呼ぶときの掃除は外から中、という話もおもしろかった。

それでさっそく影響を受けて、
「ベッドに先生や看護婦さんが来るときにも、客人としてもてなそう。」
とか、
「見舞い客が来るときは、ベッドの周りを外から中へと掃除しておこう。」
とかやっていたのだが。

「病気で入院している身空なのだし、そこまでしなくてもいいか。」
と思い至るようになって、最近はそこまではしなくなった。

01/07/10


管理人にメールする
「テレビの感想」トップへ
こねこねのさいとトップへ