檀ふみ再考

檀ふみ再考


昨日のN響アワーは「第4週ということで」、世界の名演奏家特集のような企画だったらしい。
ベルリン・フィルの木管楽器名手3人がN響でソロをやったときの演奏ビデオがその主な放送内容だった。

今回は池辺晋一郎、檀ふみ両者にそれほどの違和感は感じなかった。
池辺晋一郎は番組冒頭檀ふみが今日の番組の方向性について話すときもたいくつそうに目をあちこちにむけたり、机に肘をついて顔を隠すような仕種をしていた。その後もいくつかダジャレを言っていたが、いずれも決定的なものではなかった。
檀ふみにも、今日は特別ムリしている、という感じもなかった。

(これが、むしろ普通のN響アワーなのかな?)

そうも僕は思ってみた。まだこの番組をちゃんと見るのは2回目だ。前回がたまたま趣向的すぎただけなのかもしれない。

前回の放送内容というのは、「それはひとつの音からはじまった」というタイトルで、作曲家が音楽を作るときに意識的、無意識的にどういうことをしているのか、とか、楽曲をささえるバックグランドになる旋法にはこんなものがあって、これはこういう経緯で出来上がって、その後こういう事情で変化、発展していって、とかそんな話だった。
池辺晋一郎、檀ふみ両者の関係は、池辺晋一郎が話して、檀ふみがついていく、というものだった。

それが今回というのは、檀ふみが今回の演奏家はこれこれこういうところがすごいらしいですけど、どうなんですか、先生、と池辺晋一郎に尋ねる。池辺晋一郎は相手にあわせて答える。演奏が始まる。
そのくり返しだった。

僕は前回の放送を見たときに、
「先生:池辺晋一郎、聞き役:檀ふみ」
だとすっかり思い込んでいたのだ。

それが、今回の放送中にTV番組表をチェックしてみると、
「司会:檀ふみ 他」
となっていた。

(主に檀ふみが喋って池辺晋一郎がちょこちょこと補足していく、というのが本来の番組なのではないか)

そんな気がしてきた。
前回は作曲技法の話だ。池辺晋一郎の喋りを主体にせざるを得ない。池辺晋一郎自身はあまりにもよく知っていることなので本気になれば言いたいこともたくさんある。その一方であんまりなんでも言い出すわけにも行かない。ジレンマに陥って、ダジャレが連発される。
檀ふみも檀ふみで、聞いて感心する一方という自分のスタイルでない役柄を任されてしまったが、その一方で普段N響アワーの司会をやっている以上、まっさらな状態で聞かされています、びっくりの連続です、というわけにもいかない、ということでいろいろ背伸びをしてしまった。
そんなところではなかったのか、という気もしてきた。

もっとも今回も今回で、やはりこの人はいつもそうなのではないか、という印象を抱かせるような場面が檀ふみにはいくつかあったのだが。


新日曜美術館では、童画家武井武雄が紹介された。
彼のものすごさはその職人魂的なところだ、というのはそうなのだが、それよりも僕がおもしろいと思ったのは、人魚、だったかな?が海から出て来て月だかなんだか、空にあるさらに別のものと接触している絵があったのだけど、その背景になっている海が「青海波」という日本に昔からある技法だった、ということだった。
「和洋をよく融合した作品ですね。」
みたいな司会の男性のコメントだったが。
他にもそういうものはたくさんあった。

彼の作る童画本というのが、作りの凝りかたもそうなのだが、とにかくいろんな、趣向、という域を越えて、開発、とでも言うか。これまでに無い何か、と言えるものばかりだった。
そしてそういうものの基盤になっているのは、つまりは彼自身の豊富な知識と技法への習熟なのだ、という印象を随所に持った。

(新しいものを作る人というのは、こういうものなのだな)

と、僕は思った。
温故でも知新でもなくて。よく知ることと、知ったことを自分から引き出せる状態でいることだ。

あと、前回からそうだったのだが、僕はこの番組の女性の司会進行役をしている中村幸代に興味を持った。
ひとことで言えば、彼女はすごい美人だ。
さっそく彼女の名前でyahoo!を検索して、そのHPを発見した。
作曲の話題が多かった。歌も歌っているのかな?シンガー・ソングライターなのであろうか。
興味のあるところでは、NHK教育テレビ土曜夜10:00からの「国宝探訪」のテーマソングが彼女の曲らしい。

「NHK『国宝探訪』テーマ曲です。スタッフの間では「思わず京都に行きたくなる!」といわれていますがいかがですか?」

彼女のHPのその曲の紹介には、そういう言葉があった。
彼女はいったい、どういう曲を書くのだ?
思わず京都に行きたくなる曲って、どんななのだろう?

今度の土曜日に聴いてみようと思う。

01/06/25


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