断崖道路の連続追突
NHKロシア語会話の今日の新スタンダード40は、
「とってもおもしろい」
だった。
オクサーナは前回と同じジャケットだったが、下は同じ生地のスカートだった。
ハテ?前回はパンツだったような気がするが?ちょっと記憶にない。
シオダ君のシャツはオレンジと白の太い横縞で、これも前回見たような気がする。
デニースは
「ロシア語の発音、練習しましょう!」
と右手でガッツポーズ。緊張感はないが、なんだか気合は入っているようだ。
この、
「緊張感はないが、なんだか気合は入っているよう」
というのが、デニースの特徴、と言える。
前回放送のときに、突然80年代にアニメや大衆娯楽ドタバタ劇のオチ前の展開で聞かれたような音楽がかかりデニースがうれしそうに画面の外からプレートを持って登場してきたときも、要するにそういう印象を持った。「おまかせスキット」のときもそうだ。
彼は、なんだか知らないが、「緊張感はないが、なんだか気合は入っているよう」であり、その微妙なテンションが「NHKロシア語会話」の世界にマッチしている。
「とってもおいしい」はロシア語で、
「おーちん・ふくーすな」だ。
「おーちん」が強調のための言葉なので、「ふくーすな」の部分だけ変えて、「暑い」だの「寒い」だの、「難しい」だの、いろんな練習がされた。
「おもしろい」だったかな?「いんてりーすな」というのもやったのだが、シオダ君は
「ボクもロシア語『おーちん・いんてりーすな』なりたいですー。」
とか言って、さわやかに微笑んでいた。彼にとって、ロシア語会話はおもしろくないのか?
そんなこと言ってるヤツ、多分他の時間にはいないぞ。
スキットの内容はロシアの家庭で母と娘が食事を取っているシーンだった。
そのシーンにからんで、そこで出て来た「サリャンカ」という料理はどういうものなのか、オクサーナがいろいろと説明をした。
そのときにもはっきり思ったのだが、彼女が画面に出てくると、しっかり存在していて、すごく安心するのだ。
どうしてなのだろう?よく分からないが、彼女がひとりアップになっていると、まわりの空気の中身がすごくしっかりする、というか、湿気を伴う、というか、とになく何にもしていないのに、ひどく落ち着いた雰囲気になるのだ。
そうなると、たとえばさっきの新スタンダード40のところなんかで、彼女が「暑い」だの「寒い」だのを発音したあと練習のために登場してくるシオダ君がますます自然に比較される。
彼のまわりの雰囲気が、オクサーナの後すぐだと、それまで以上にひどく希薄に感じられるのだ。今日は背景との色あわせのせいかもしれない。黒のGジャンを着てどっしりと構えているオクサーナに対して、白の入ったシャツを着て白のホワイトボード等の明るめの色合いの背景を背負っているシオダ君が多少弱い、というのは仕方ないかもしれない。彼は顔も小さいし、髪も色を抜いている茶色の直毛だし。
でも、やっぱり弱いのだ。シオダ君は。先々週のソローキン氏の独白の直後に感じた圧倒的な存在感の差、ではなかったのだが、今日はオクサーナとシオダ君が交互にひとりアップで登場してくるのを見ていて、僕はなんだか小刻みにポイントを奪われていくハンドボールチームのようなイメージをシオダ君に持った。
ウラジミール某のコーナーがはじまった。「歌のある店」というらしい。今日は、前回の続きだった。
ロシア語会話の感想の熱心な読者のために説明すれば、前回のこのコーナーは、
「夕暮れ時に〜〜〜うとうとしていたら〜〜〜あーそして夢に現れた〜〜〜」
と、ロシアの超有名コサックソングが途中まで歌われ、
「何ヲ、見タノカ、ここまデデは、まだ、分カリませんね。だから、来週も、見マショウ。」
とこのウラジミール某が言って終わったのだ。
今日はその続きからだった。映像は、たくさんの馬が緑の草原を走るシーンだった。
「僕の夢に現れた〜〜〜。」
何が現れたのかと思っていたら
「僕の黒毛馬が〜〜〜。」
僕の黒毛馬だった。
たくさんの馬の映像が流れた。どれが僕の黒毛馬なのだろう?とりあえず、茶色い馬ばっかりだ。
「遊んで踊りまわった〜〜〜。僕の下で夢中になって〜〜〜。」
たくさんの馬の映像は横からのものだったが、どうやら夢の中の僕は黒毛馬を見下ろしているらしかった。
先週までの三日月、花、サッカーボールを一人で蹴る少年の流れからして、最初、馬が草原を走るシーンもただの直接関係のないイメージ映像なのかと思っていたが、2週分連続して頭の中でビデオ再生してみると、突然歌の内容と映像がここで一致するわけで、そう考えるとなんだか違和感があった。
「コノ歌ハ、ホームパーティ、大きなパーティのトキ、ヒトりでも、大人数でも歌ワレル、誰デモ知っている、有名ナ歌デス。ギター、アコーディオン、いロんナ楽器モ使ワレます。三味線ハ、使ワレルカ分カリマせん。」
カタコトの日本語でオチをつけ、あさっての方向を向いてウラジミール某が前回同様に前奏のアレンジをギターで弾き、コーナーは終わった。この歌は、まだ来週に「3番」があるらしい。
「聞いてみよう」のコーナーは、前回に続き、イコン画家女性のインタビューだった。
名前はヴァレンチーナさん、だったかな?
「私の生活は5:30に礼拝堂に行き、8:00までお祈りをします。そうして、精神が落ち着いたところで朝食をとり、あとはずっと教会でイコン画を描いています。17:00ぐらいで終わらせてもよいのですが、夢中になってしまうと、23:00をすぎてしまうこともあります。とにかくおもしろくて、食事も忘れてしまいます。」
彼女は大小のイコン画が並べられた背景にイスに腰掛け、たんたんと喋る。彼女自身、なんだかうしろのどれかの絵から抜け出て来たのではないか、という感じがしてくるような女性だ。イコン画、アトリエの採光、風景、置いてある道具、その位置、彼女の存在、すべてがまったく同一のトーンになっている。明るく統一された空間だった。
「以前は風景や人物を描いていましたが、イコン画を描くようになってから描かなくなりました。イコン画は精神の窓のむこう側の世界です。風景や人物を描くことは陰を追うようなもの。イコン画を描くことで全てが満たされている私にとっては不要なものです。」
彼女の目に迷いはない。
「家庭を持ちイコン画家になることはとても難しいと思います。芸術家と家庭人というのは両立し得ないと思います。それは、芸術家は何かを作ることに没頭してしまうからです。芸術家と言っても、私の場合はイコン画家ですから、想像を越えた神の指示により作品を作ってるわけですが。私の理想は修道女となり、今の生活を続けることです。」
そんなことも言っていた。彼女なら言いかねないな、と僕は思った。
番組の最後は、シオダ君がいつもどおり自分の描いた絵を披露することで閉められた。
7:11からはじまったのは、「トムとジェリー」ではなかった。
ヘンな自動車もののアメコミだった。
「断崖道路の連続追突」
と、サブタイトルが出された。ふりがなつきだ。
その内容はひとことで言えば、悪役とその品の悪い飼い犬がしつこく他人の妨害をしてとある自動車レースに勝とうとするのだが、男性や女性、怪獣といった他の競技者には実質的な影響はほとんどなく、まるで何事もなかったかのように彼らのほうが先にレースを終える、というものだった。
アメリカの子どもは、こんなのを見ているのか。もっとも、東京12チャンネルをこの時間に見ている日本の子どももそうだが。もっと言えば、今の僕もそうだ。
およそくだらない、と思った。あまりにもくだらないとは思ったが、番組は7:30までだとチェックしていたので、ひょっとするとこの時間にまだもう一話あって、それが「トムとジェリー」なのではないか、という期待がそれでも僕にはあった。僕は最後までその話を見た。
だが、話の終わりになって、画面右上に
「次は、『偉大なるケンケン劇場』だよ!」
というピンク色の日本語が浮かび上がったところで、結局僕は絶望してテレビの電源を落とした。
「トムとジェリー」にそんな話はない。
「トムとジェリーとゆかいな仲間」
というこの番組の真のタイトルを、僕はもういちど思い出した。今のは、きっと「ゆかいな仲間」だったのだろう。
断崖道路では小規模の事故こそ頻繁にあったが、連続追突があったのはクライマックスのゴール前のシーンのみであった。
01/06/10
このページは長く「断崖道路の連続衝突」というタイトルでアップしていたが、最近(2003年9月)、「断崖道路の連続追突」が正しい表記だと知り、それにあわせて、関係する部分に修正を施した。
2003/10/12
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