クレムリンって、知ってる?
ロシア語会話は、いつもどおりにはじまった。
・・・はずだ。実は、オープニングをちょっとだけ見逃した。
今朝は6:15ごろに目が覚めて、そのまますぐに「井戸から」を書いていて、とりあえず書きあがったときに時計を見たら6:41になっていた。
あわててテレビをつけたら、オリガの「永遠とは?」はもう終わっていて、4人整列して自己紹介をしているところだった。
シオダ君は茶髪にパーマをかけていた。
オクサーナは妙に白くて、なんだかお疲れっぽかった。
デニースはうれしそうにしていたが、何を言ったのかよく分からなかった。
今日の新スタンダード40は、
「モージュナ」
だった。いいですか?と聞くときにつける言葉で、「ンモ」のところにアクセントがくる。
スキットドラマが流れた。
スキットは、今日は学校の教室が舞台だった。キレイなスペースで、気の利いた形のひとり用の机とイスのセットが整列していて、それぞれに学生が席を取っている。
教室の後ろ側のドアが開いて、ひとりの学生の男が入って来た。
(このあいだ、駅の切符売場でウソ学生扱いされた彼だったと思うのだが、確信は持てない)
彼のアップになる。
「すいません。いいですか?」
「どうぞ。」
アップになって答えたのは、これまたこのあいだ彼をウソ学生扱いした切符売場のオバチャンだった。今回は教師役らしい。
彼は、歩いていって前のほうの空いている席に座った。
「エレーナ某先生、質問していいですか?」
席についてから、彼が聞いた。
「何ですか?」
女性教師役が、アップになって返答した。
彼は尋ねた。
「窓を開けてもいいですか?」
窓は開けられて、今度は彼が隣の学生に尋ねた。
「イヴァン、電話いいですか?」
イヴァンから電話を受け取ると、アップになった彼は机にふんぞりかえって電話で話し出した。
「アリエク!」
女性教師役が、アップになって彼の名前を呼んだ。
このスキットドラマの間中、「ズンチャッチャッ」という3拍子の音楽が流れていた。
「ずいぶん、トンチンカンなスキットですね。」
スキットが終わるとシオダ君がそう言った。彼にしてはめずらしく適切な指摘だった。
「ソローキンのロシア文学案内」は先週と同じ出だしだった。
ソローキン氏がバーのカウンターでバーテンと何かを語るシーンからはじまって、その後テーブルのほうに行って語りはじめた。
今日は「オブローモフ」だった。
「ロシアの怠け者をテーマにした作品だ。」
という趣旨の字幕が出た。
「オブローモフはロシア国民の典型的タイプで、この作品はたくさんの人に読まれています。」
ソローキン氏は相変わらずじっと何かを潜めるような調子で語る。ただし、先週に引き続き照明はやや明るい。
ロシア国民の典型的タイプは怠け者なのか。
僕はロシア人とはまったくつきあいがない。シベリアからアルミニウムを運んでくる船の乗員によく見かけたぐらいだ。
「この作品はロシアの怠惰も同時に描いています。」
そんなようなこともソローキン氏は言った。ロシアは怠け者なのか。
ロシア人の怠惰とロシアの怠惰は、共通の何かの継承と見ていいのかな?
「一生何もしなかったすばらしい人間」
オブローモフについて、ソローキン氏はそう表現した。なんとも逆説的だ。
「いかに何もしないで生きていけるか、それはひとつの拷問でもあります。」
しかし、それはオブローモフにとっては自然で普通なことなのだと彼は言う。
「ベッドに寝そべっている以外、何もうまくいきません。彼は好感が持てる人物で、賢く教養もあります。自分にも自分の愛する女性にも子どもにもいい影響を与えられるはずなのですが、でもロシアの怠惰主義がそれを許さないのです。」
いったい、オブローモフという人物はどういう人物なのだ?
ベッドに寝ているばかりで何もしなかったのに、どうして教養が持てるのだ?他のことは何もうまくいかないのなら、教養を身につけることもうまくいかなかったとしそうなものだが。
この話にはアンチとして「シュトルツ」というゲルマン風の名前を持った人物が登場してくる。彼はオブローモフと正反対の人格をしていて、オブローモフを「何もしない。」と非難するらしい。
「ロシアの怠惰はロシア人にしか理解できないものです。まして、よく働く日本人には分からないものです。」
「オブローモフとシュトルツの2人の間に緊張が走ります。どちらに好感を抱くかは、日本の読者が決めることです。」
「私はオブローモフに好感を持っています。」
立て続けにソローキン氏が話して、コーナーは終わった。
日本人には分からないことを日本人に決めろと言ってみたり、日本の読者が決めることだと言っておいてロシア人の自分は自分で既に結論を出していたり、相変わらずソローキン氏はいろいろと不思議な人だ、と思った。
どういう話作りをしているのかだとか、興味を持った。機会があれば読んでみようと思う。
「聞いてみよう」のコーナーでは、シベリア出身の画家さんのインタビューをやった。
彼の描く絵は主に静かな風景画だった。雪の平原に立ちそびえる山岳だったり、激しい波に揉まれる停泊中の船の絵だったり、彼の絵はいずれもシチュエーションは厳しいものばかりだったのだが、そのどれもなんだかどこかに明るくポジティブな感じがあって、やさしくて力強い感じのするものだった。
彼自身も、
「明るく物悲しい凍えたような自然が好きだ。」
みたいなことを言っていた。明るい太陽を描くのもたまにはいいが、やはり自分にはこういう自然だ、というような趣旨だった。
「聞いてみよう」のコーナーは番組の最後のほうなので、このコーナーが終わると、いつもどおりそのままシオダ君の今日のお題目をテーマにした絵が披露され、番組は一気に収束に向かっていった。
彼の絵よりもシベリア出身の画家さんの絵のほうがすばらしかったのは言うまでもないが。
彼から何もコメントが聞かれなかったことはやや残念であった。
何か彼が感じたことを聞きたかった。
今日のシオダ君のおもしろかったところ。
「デニースのおまかせスキット」の終わり、「ソローキンのロシア文学案内」につながるシーンでシオダ君はデニースの持っていた学生カバンから携帯電話を借りて、電話をした。
電話をした相手はソローキン氏だった。
「あ。もしもし?ソローキンさんですか?あ。はい。ええ、ええ。じゃあ、よろしくお願いします!」
日本語の一人芝居でそんなようなことを言って、シオダ君は
「えー。ソローキンさんの準備ができたので、次は『ソローキンのロシア文学案内』です!」
と、元気よく叫んだ。
僕はNHKのホームページでチェックしているから知っている。
「ソローキンのロシア文学案内」は、彼が来日したときに連続して撮られたもので、今、彼はロシアだ。
まさかシオダ君がロシアに電話したとは思えないし、たとえそうだとしても、番組にとってソローキン氏の了解は別にいらない。まして、おそらく彼に日本語は通じない。
もちろんシオダ君が「こういうことをやりたい!」と言ってこうなった訳ではないだろうが。
放送作家は、きっと「彼にこういう風にやらせてみたい。」と思ったのであろう。
「聞きかじりのおろしあ」のコーナーで、黒田先生は今日は、
「ねえ、シオダ君。よく報道で『こちらクレムリンです』なんてやってるけど、クレムリンって、知ってる?」
とシオダ君に聞いたのだが、彼の答えは案の定、
「さぁ。」
だった。聞いたこともない文字列だったのだろう。
今回は黒田先生に特別な反応はなく、そのまま普通にクレムリン話がされていった。
前々回の「赤の広場」のときのこともあったし、きっと彼の解答は先生の予想の範囲だったのだろう、と、僕は推測した。
今週の「ロシア語会話」は再放送も見ようと思う。
きっと、このシーンだけのためにでもそうする価値がある。
01/07/15
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