供依存

供依存


「依存症の時代」の第2回は、

「つき放せばいいのだけど」

というのがサブタイトルだった。


「共依存」

という言葉が、今日のキーワードだった。はじめて聞く言葉だ。

「他人の世話でいっぱいいっぱいなんだけど、やめられない、という状況に落ちている人のことです。」
臨床心理士の女性が言った。

「アルコール依存症、ひここもり等の状態になっている人のまわりによく見られます。そういう人を助けなければ、とかまいすぎてしまう、かまわなくてはならなくなってしまう、そういう依存症です。」

そういうことだった。依存症の人の家族などに対して呼称がつけられるというのは画期的だ、ということだった。専門家からそういう言われかたをされるということは、やはり新しい言葉なのだろう。


ケーススタディに入った。49才の主婦が主人公だった。
「監視していた、と思います。見ていたい。見て、一緒にいることで、安心できたのです。」
彼女が、まずそう話した。

夫はもともと酒が好きだったが、要するに酒の飲みすぎでこりゃまずい、という事件があって、禁酒することにした。
ところが、3年経つと、妻に隠れて飲むようになった。
ものおきやら、車のトランクやら、本棚やらに酒を隠し、飲む。
妻が、それを見つける、のくりかえし。

2年ぐらいすると、夫は外で酒を飲むようになった。
妻は夫を探すようになる。
電車に乗って居酒屋を探しにいったり、そのうちにはタクシーでサウナを何軒も探すようになったり。

そのうち、酒の飲みすぎで仕事にならない夫のズル休みの電話をかわりにするようになったり。

妻が面倒を見れば、それだけ夫の行動はエスカレートしていった。
しまいにギャンブルもするようになった。
サラ金に借金が出来て、それは妻が自分の貯金を卸して払った。


英語ビジネス・ワールドで言えば、

"Trouble Spot"

である。

「イネーブラー」

という言葉が紹介された。「助長者」という意味だそうだ。
「供依存という言葉が使われ出す前に、家族に対して使われていた言葉です。援助をすることで、かえって相手の依存症をひどくしていってしまうので、そういう言葉が使われていました。」

夫がやったことの責任を妻がすべて背負ってしまうので、夫は現実を見つめないで済む。そうすると夫の行動はどこまでもエスカレートしてしまう。
妻は妻で、夫にかまっていれば、自分のことや他のことは考えないで済む。

「こういう形で、何かの依存症の人と供依存の人がカップルを組むと、とても強固になります。」
と、臨床心理士の女性が言った。私がいなければこの人はダメなのだわ、という構図になるらしい。聞くような話だ。

「供依存は、『尽くし、援助し、自分のことは後回しにして奉仕するのがよい』という日本人女性に対する美徳感が先に立ち、どうしても気づかれにくい傾向にあります。」
ということだった。

この状態からの回復には、相手は女性の場合、
「あなたのためになる。」
というアプローチは難しいらしい。やはり日本の女性美徳感が先に立ってしまうそうだ。

「それでは夫のためにならない、子どもためにならない。」
というところからのスタートになることが多いそうだ。

ここから、

"Overcoming Difficulty"

である。


妻は、アル中家族の会のようなものに入った。
供依存等の、アル中の人の家族の病気についても勉強した。
ここではじめて、彼女は同じ悩みを持つ仲間を得る。

「夫のズル休みの電話をかけたり、飲み屋のツケを払いに行ったり、人の自転車持ってきたら、謝って返しに行ったり。ホント、私がついていなきゃダメなんです。」
他の人が話をしていた。

彼女も自分の話をした。
「内臓やられちゃって、病院に連れて行ったんですよ。それで、お医者さんのところで、この人はああで、こうで、って夫のこれまでの病歴についてがーっと喋っていたら、お医者さんに『ちょっと待って、奥さん。ダンナさんは、言葉、喋れないんですか?』って聞かれて、それで、あー、って思って。」

そんなこんなで、彼女はじぶんが夫を過剰にコントロールしようとしていた、と気がついたらしい。


「夫の行動を把握するよりも、自分のために生きよう。」
そう彼女は決めて、夫にあまりかまわなくなった。空いた時間はパッチワークなんかをして過ごした。

そうすると、夫の行動が変った。
「なんか、ひとりにされて、見捨てられた感じがしてさ。置いてかれたような、というか。だだっ子みたいに、かまって欲しい、ってね。」

それで、結局夫は禁酒した。もうここ6年飲んでいない。仕事もちゃんとするようになった。
妻は、さいきんは旅行やショッピングを友達と楽しむ時間を大事にして暮らしている。供依存だったころにさかんに登場していた夫が日記に登場することも、めっきり減ってしまった。


「本人がやりたいようにやらせる。本人がやめたくなれば、やめる、ということです。供依存の妻がいなければ、夫は現実を見つめるしかなくなります。」
臨床心理士の女性が言った。

「しかし、そうして手を離すには、相手に対する愛情、自分がいなくてもこの人は回復できる、という信頼が必要です。」
そうも言った。
ひとりでなかなかできることではない。できれば専門家のサポートがあればよい、ということだった。
やはり心理的なバックアップ感が違うらしい。


まとめに入った。「英語ビジネス・ワールド」ではないから、トレーシー・ロバーツ婦人のNYレポートはもちろんない。

「他の種々の依存症においても同様に家族が供依存になってしまうことはあります。家庭での『家族の愛情』のあり方について考え直すべきときではないでしょうか?」
先生はそう言って、3つのポイントを挙げた。

1.供依存について、本、専門家等から知ること
援助することに対する従来の常識をひっくり返した考え方だ、という点に注意すること

2.相手との距離ができたとき、時間的にも精神的にも楽になるが、そのとき、たとえば夫のかわりに子ども、親戚に移るといった形で他に世話をする対象を見つけてやはりかまってしまう「横すべり」という現象に陥るケースがある。
そうではなく、空いた時間、エネルギー、お金といったものを自分のために使うこと。
(ケーススタディの妻がパッチワークをやっていたことがその一例としてあげられた)

3.供依存のグループに参加する。
ただし、供依存の人は人を支配する、される、という関係に陥りやすい。人の世話はしない、基本的な一線は守る等、そこではそういう人間関係を作らないよう十分気をつける。

「様々な家庭での依存症のキーワードになります。」
先生は、そう言った。彼女が関係している供依存グループの名前と電話番号も紹介された。


「とにかく、手放すことです。」
彼女はそう言った。

「別の人間として別の人生を生き、その上で協調した人間関係を築いていていくのです。世話をしすぎることで、相手の生きる力を奪っているかもしれないのです。」
彼女がそう言って、番組は閉まった。

次回は、児童虐待を依存症の視点から見るらしい。


はっきり言って、目ウロだった。たしかに、従来の価値観とまるっきり正反対だ。こんな概念があったのか。
しかし、そうは言っても、なかなかできたものではないだろうなあ。

テンパってる人にかまいすぎて本人がテンパってしまう、というのはよくあるパターンだが。
そういうのも、やはり本人のためには良くないのだろうな。

有意義な30分だった。すごいよNHK教育テレビ。
明日もかかさず見るぞ。

01/06/12


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