ミミック・オクトパス

ミミック・オクトパス


ちょっと前の話なのだが、NHK総合の「地球!ふしぎ大自然」で、ミミック・オクトパスという生き物が紹介されたことがあった。

主にインドネシアの限られた島の側の砂地なんかに住んでいるそうで、これが、普段は自分より強い敵に襲われないように例えばウミヘビ、カレイ、ミノカサゴなんかに擬態していて、逆に自分が何かを食べようというときには相手を油断させるために他の弱い生き物に化けてという具合に、動くときもどこかにとどまっているときも仕種や色を真似て常に何種類もの動物に擬態して暮らしているという、珍しいタコなのだ。
視界のよい砂地で生きのびていくために身についた能力ということらしい。

この生き物は、つい最近までその存在を気づかれていなかった。
あまりにも擬態が上手いので、これまで彼らが住む海を人間がたまに潜って泳いでいても別の動物と思われてしまい、気にかけられなかったからだということであった。


取材は難航したというのが番組の前半の内容だった。タコが、なかなか見つからなかったのだ。

番組の中盤をすぎてからタコが見つかるようになり、後半で一匹のタコが登場した。
そのとき、そのタコは、砂地にある自分の巣穴のすぐ側で、頭を上にして足を下に揃えて静止していた。その格好は、ウミヘビが餌を待ち周囲の様子をうかがっている様子を擬態したものだった。
ウミヘビの頭ぐらいに擬態しているということは、そのタコの大きさは当然ウミヘビの頭ぐらいしかない。
しかし、こうしていれば、そのタコはいちおう安全であった。

そこへ、一匹のカレイが泳いで来てすぐそばで砂地に伏せた。
カレイはするどい歯を持った獰猛な肉食魚で、そのタコとの関係は、タコのほうが食われる側だった。

タコは、そのとき近くにそのカレイが来ていたことに気がついていなかったらしい。
ちょっと何か思うところがあったのだろう。しばらくウミヘビの擬態をしていたのだが、タコは、静止状態用のその擬態をとき、そろそろと動き出そうとした。タコは、ウミヘビの形から、おそるおそる次の擬態の準備のために次第にタコの形になっていった。このタコの、いちばん危険な瞬間である。


カレイはそのスキを逃さなかった。自分の側にいたその生き物がウミヘビではなく、自分の餌たるべきタコだと気づいた瞬間、恐ろしい速さでカレイはタコに食いついた。

タコは襲われたとなった瞬間自分の巣穴に飛びこもうとしたが、遅かった。

次の瞬間、タコは、もうカレイの口の中にいた。カレイは何度か口をパクパクさせながらそのタコをしだいに飲み込んでいき、日常的に泳いでいく。最初のころはその映像で開いたり閉じたりするカレイの口からその足がはみ出し、もがくタコの胴体なんかが見えていたが、そのうちその口からはタコの胴体は見えなくなり、足も見える長さが短くなっていった。そのかわり、今度は主にカレイの鰓から複数の足がはみ出して見えてくるようになり、必死になにかもがいているタコ様子は、しだいに鰓から延びるその足から推察できるのみになっていった。

テレビを見ていてどのぐらい時間が経ったろう。
カレイの鰓の外に見えるタコの足の動きが次第に弱くなっていった。
僕はもうダメだろうと思いながらブラウン管を凝視していた。

すると・・・


カレイは、突然タコを吐き出した。理由は分からない。とにかく、カレイはタコを吐き捨てた。
「タコが最後の抵抗をして、カレイの口の中に噛みついたのでしょうか?」
ナレーションの声がした。

カレイはこりゃたまらんという様子で逃げるように泳いでいってしまい、ボロボロになったタコが砂地に落ちた。
ボロボロだった。体のあちこちが傷だらけになっていたし、足も一部はちぎれているかのように見えた。明らかに、尋常ではないダメージを受けていた。

どんなときでも擬態を忘れることのないミミック・オクトパスであるにもかかわらず、タコはいつものように油断なくその姿を取り繕うこともなく、タコのなりのままの姿であられもなくヨロヨロとその場を離れだした。
むきだしの姿で砂地を歩き、途中で海草だかの間に分け入りとしてタコはとにかくその場を離れていった。
「自分の巣穴に向かって、必死に歩いています。」
ナレーションの声がした。

僕は、やはりあれはもうダメなのではないか、と思った。
とにかく、ダメージが尋常でなさそうだ。とりあえずこの場をしのいだとしても、いずれ長くはないだろうと。

その一連のシーンはそのタコがなんとか巣穴に戻らんとしているところで終わり、次には別のタコの様子が紹介された。
そのタコはそれっきり番組に登場することはなかった。

ところが。
番組の最後、薬師丸裕子が歌う終わりの音楽が流れて来たときに、信じられないような内容のテロップが出てきた。
「カレイに襲われたタコは、2日後、元気に自分の巣穴に姿をあらわしました。」

「え?」
と、僕は思った。


「元気に」である。
所詮、2日で元気になれるようなダメージだったのか?
いや、絶対にそんなことはなかった。タコは、もうカレイにほとんど全身を飲み込まれていた。
カレイに自分を食うことを取りやめさせることに成功できた最後の抵抗はおそらく本当に最後の最後の抵抗であり、通常なら成功しないような類のものだったはずだ。獰猛なカレイが、その鋭い歯を持った口で捕らえた餌たるタコを、もうほとんど口に入れきった状態からそうしょっちゅう吐き出さざるを得ないわけがない。

2日後に「元気に姿をあらわした」そのタコの映像は番組の最後にも紹介されることはなかった。
「後に潜ったら、見かけた。」ということだけであった。


2日で元気そうに姿をあらわしたのだとしたら、それこそ自然は厳しい。

だとすれば、あれだけのダメージを負っても弱音を吐いて怠けていられない、2日で復活してこなくてはならない事情があのタコにはあったのだろう。
ゴールデン・ウィークからこのかた、会社にも行かないでのんびり病院で安静にしている僕とはエライ違いだ。誰も助けてくれないから、タコは、自分のためにできることを自分でなんとかしなくてはならなかったのだ。
姿は元気だったかもしれないが、その内側はどうだったか分からない。

2日後のことはいい。でも、あのタコはその後も元気に暮らしているのだろうか?

僕は、僕の家で飼っていた小鳥が死んでったときのことをいくらか思い出した。
たいてい、彼らの最期というのは、前の晩まではなんとか元気そうにしていたのに翌朝になると死んでいた、というパターンだった。


僕は、以前ピュリツァー賞を受賞したハゲワシと少女の写真のことも思い出した。

非常に繊細な性格の写真家が撮影したというアフリカのどこだかの飢餓に苦しむ少女の背後にハゲワシがじっと様子を伺っているその写真は、世界中にアフリカ飢饉についてのセンセーションを巻き起こしたと同時に、生理的、倫理的緊迫感に気圧されたある種のヒステリーをも沸き起こしてしまい、
「この少女はこの写真が撮影された後、元気に歩きだしました。」
という当初の作品にはまるで予定されていなかったメッセージを附帯させるという改宗を強要された挙句、その写真家は自殺させられてしまった。


写真が撮影された直後のことはいい。あの少女は、今、どこで何をしているのだ?

僕は、図らずとも一人の才能ある写真家を結局自殺にまで追いやってしまった彼女の、後の消息のことをちょっと思った。

01/06/01


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