評価二分 三島賞受賞作品

評価二分 三島賞受賞作品


「ハングル会話」を見んとして、テレビをつけた。6:41までNHK総合をつけて、6:41からは教育テレビにチャンネルを変えた。
前回放送で出てこなかったイヴォンウォンが今日は出てくるのか、当然僕の注目はそこにあった。

テレビをつけると、阿部由美子、リュ・ヒジュンが相次いでしゃべった。
「今日は復習編です。これまでの何回かの放送でやったことの復習です。」
リュ・ヒジュンが言った。イヴォンウォンは出てこないようだった。

すると、画面に表示が出た。
「今日は『LIVE ON KOREA』、『歌うハングル酒場』はお休みです。」
僕は興味がなくなって、チャンネルをNHK総合にあわせた。


NHK総合では、「評価二分 三島賞受賞作品」というタイトルでニュースをやっていた。

「今回、この作品への選考委員の評価は真っ二つに分かれました。」
アナウンサーの声がした。

「19世紀にフランス、ドイツで起こった近代文学の流れがこの作品により日本にもようやく到達してきた、というところです。」
ひとりの選考委員のコメントがあった。

「はっきり言って、私にはこれをどう読めばいいのか分かりません。」
別の選考委員はそうコメントした。

受賞者の男性の受賞のシーンが映像で流れた。
金屏風でエラい人が横を向くと、受賞者、と思しきちょっと固く太った感じの男性が画面の左からそそくさと現れて、頭を下げながら歩く流れで何かを受け取って、頭を上げる時間も惜しんで3次曲線の極点のような忙しさですぐに画面の左に消えていった。

その小説からいくつかの文章が朗読された。
暴力的な表現がいくつか紹介された。出て来たものは、不安定な精神状態をあおるような文章だった。


彼へのインタビューのシーンになった。

「成長、成長と言いながらも衰退していく日本社会で、やっぱり、簡単に上手く行くことなんて、どうなのかな、と。」
そんな切り口の言葉から、彼のインタビューは始まった。
早口で、彼の視線は盛んに動く。

「やっぱり、無責任であってはならない、と。」
また、『やっぱり』だ。彼の『やっぱり』は、他の言葉よりもまたちょっと早口になる。おそらく口癖だ。

彼の作品は10代後半とかに愛読されている、とかそういう話になって、画面が切り替わって、彼の作品を読んだというその世代の人たちの感想を述べているシーンが出てきた。
「スピード感があって、殺伐としていて。」
「絶望的なんだけど、読み終わると希望、みたいなのがあって。」

またインタビューシーンに戻った。
「変革、変革とか叫んで浮かれないように、冷静に世の中を見なくてはならない。」
彼の名前は、中原昌也、だったかな?


小説のどこからどういう表現を引用するかはテレビ局が決められることだし、、インタビューのシーンなんか、実際にはもっといろいろしゃべっているところの一部、編集上の都合のいい発言のあった部分だけを取り出しているのだろう。読者の感想なんかも、構成の一貫性を保ちやすいものを選んで紹介しただけだ。

僕が見たのは、映像に映し出されるその受賞者、中原氏だった。
インタビューは基本的に発言の内容を中心に編集されるものだから、動きについては逆に生の情報が得られるものだ。

まず、彼は早口だった。彼が早口なのは
・言いたいことのイメージが大きくて、喋るスピードを上げないとイメージを表現するスピードが追いつかないという危機感が本人の中にある
・自分がまくしたてていないと突っ込まれるのではないか、という不安がある
おそらくこれだろうと思った。

そして、彼がよく使ったつなぎの言葉、『やっぱり』。今書かなかった部分でも彼が使っていた記憶がある。この言葉は、特に早口になる。
自分が本当に大事なキーワードを適切に使い説得力のある発言をしていると感じていれば、そういうつなぎの言葉はそんなにいつもは必要ない。
・強調した表現をくりかえし使わないと、説得力が不足する、という不安がある。

授賞式の時のあの態度も気になった。
彼は、なぜ授賞式のときにああそそくさと現れて、そそくさと帰って行ったのか。
彼にとっては、あれは満足できる態度だったのだろう。
・「三島賞」という権威に対して反抗的な気分であった
・人前で自分が動作する様子を不特定の周囲に見せることに不安があった

インタビュー中の視線の落ち着かなさも気になった。その目の奥に、僕はなんとなく彼の不安感のようなものを感じた。NHKロシア語会話に出てきた、ロシア文学の魅力を独白していたソローキン氏やイコン画家バレンティーナさんとは対照的だ。
・要するに、彼は自分に自信がない

僕は、彼に対してそういう感想を持った。

「自分の価値観にはそれなりに自信をもっているが、『やっぱり』不安な部分もある。」
僕には、彼がそう言っているように見えた。そして、彼の価値観を支えているのはたぶん、自分に対する不安、社会に対するペシミズムだ。

彼の不安はどこから来るのだろう?
確信はないが、彼には不遇な時代があって、そのときの傷をまだ乗り越えていないのだろう。そんな気が僕にはした。
それともうひとつ。やはり、本音としては、彼には自分に対する自信がまだそんなにない。そう自分が感じていることを人に見抜かれたくない。
受賞の時の態度も、あるいはそこからだったのかもしれない。

そして、そういう彼が書く文章がどんなものなのだろうか、と考えてみた。
きっと、悲観的観測に基づき行動する多くの人物が登場する小説なのだろう。
それが19世紀フランス、ドイツ的なのかどうかは僕には全然分からない。

10代の彼の作品の愛読者。
「スピード感」という言葉もあったが、むしろ共通項は「自分に対する不安感」と「社会に対するペシミズム」だろう。
自分や社会に不安を抱いていない人が読んだら、おそらく彼の作品はちんぷんかんぷんだ。

通して読んだわけではない。NHKのニュースで出て来たところしか見ていない。
でも、彼が自分に対して感じているであろう不安をこれからどうしていくのかには、多少の興味を持った。

01/06/23


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