悩める朝
今日も起きたのは4時台、4時15分だった。いつもどおり、すっきりした目覚めだった。 マスクをかけて、トイレに行って、出てきて、うがいをした。
ここで、僕はすっきりとした。
前の晩、寝る前にイメージの初期段階を越えるところまで到達していた連作のびよらじょーくが、やっと今、僕の頭の中でいちおうまとまったのだ。
さいきん、僕の中では、第3次びよらじょーくぶーむである。
僕は遠回りしてロビーに出て、外の景色を見た。曇っているようだ。まだ外はいくらか暗い。とりあえず体重を量ってみた。63.85kg。食事のカロリーは増えたが、体重は減ったみたいだ。身長を計った。いつもと変わらなかった。
病室のベッドに戻り、さいきん気に入ってずっと聴いているブルーノ・ワグナー指揮の「田園」を聴きながら、僕はその一連の作品の配列、それぞれの詳細、それらの「めいきんぐ・おぶ」をどう書こうか、ということを考えた。CDプレーヤーの調子はあいかわらず悪く、数分ごとに音飛びを繰り返したが、それでもあったほうが僕にはだいぶよかった。
特別やることもないのだが、なんどか部屋の外に出てフラフラとした。こういうときは、構想以外の部分は、全部開放してしまうに限る。「書ける」と思って、書ききってしまうまで、とにかく他の部分は開放してしまうのが正しい態度だ。
僕はからっぽになって歩きまわった。
うろうろしていると、中堅どころの看護婦さんに会った。ナースコールで呼ばれて、部屋の外でちょっと待機しているようだった。彼女と目があって、僕は話しかけられた。
「おはようございます。早いですね。」
「いつも。です。」
「いつも、こんなに早いんですか?」
「ステロイド使うようになってからは、そうですね。」
「昼寝は?」
「薬使いはじめてから、2回しました。」
昼間は頭はすっきりしているのか?というようなことを聞かれた。
すっきりしている、と僕は答えた。
たいへんですね。というようなことを、彼女は言う。
「いえいえ。僕、早起き好きですし。寝覚めもすっきりしてますし。なんだか、毎日こんなんでいいのかな、って感じ、です。」
彼女は笑った。
本音だった。毎日、寝るのは11:00前。おきるのはだいたい朝4時から5時半。自然に目が覚めてしまって、それっきり一日すっきりとしている。投薬治療が始まってからはずっとそうだ。忙殺される用事もない。もっとも、さいきんは書き物に夢中になっていてちょっと忙しいのだが。
いまのところ自覚症状として副作用が特別そんなにひどいわけではない。自炊しているわけでもないのに、僕の健康状態に十分に配慮された栄養のバランスのよい適切なメニューが3食でてくる。部屋は常に清潔で快適だ。
本当に、こんなんでいいのか、というのが、僕の入院生活の感想なのだ。
「ミンザイ(睡眠導入剤:レンドルミン)を使ってるからかもしれませんね。」
彼女はそう言った。レンドルミンには、寝起きの熟睡感もあるらしい。
彼女の用件は本格化したようで、僕はその場を離れた。またロビーに行って、外を見て、体重と身長を測って、部屋に戻った。
びよらじょーくの構想はほぼまとまった。あとは書くだけだった。
ただ、僕は「いつ書くか。」ということで悩んだ。
起床時間は6:30。その時間になれば、電気をつけて書き物もできるだろう。
しかし、今日は6:40から「ハングル会話」を見る日だった。
この「ハングル会話」が問題だった。
僕にとってこの番組は、インスピレーションを高める素材と、ゲンナリさせる素材が混在する番組なのだ。
阿部美穂子
リュウ・ヒジュン
"LIVE ON KOREA"のコーナー
その進行役の女の子(彼女は東大大学院生らしい)
が、インスピレーションを高める素材として頭に浮かんだもの、
イボンウォン
スキット(の、暗いノリ)
ハングル一本勝負!の前フリ
退屈な韓国演歌のコーナー
が、ゲンナリさせる要因だった。
教授もどちらかというとただでさえプラスには作用しない存在である上に、
『何の予告もなく突然自作の踊りを踊りだした』
という前科のある男で、常に危険だった。
これが「ロシア語会話」、「スペイン語会話」、「英語ビジネス・ワールド」、「フランス語会話」、「中国語会話」だったら僕は躊躇せずにに見る。
「イタリア語会話」、「ドイツ語会話」だったら見ないことに呵責もない。
僕の中での「ハングル会話」の位置づけは、そのどちらでもない微妙なところなのだ。
アクアリウムというものは繊細にできているもので、丁寧に作り上げて一度出来あがったとしても、「ゲンナリさせる要因」が混ざり込むことで、けっこう簡単にバランスを崩してしまうものなのだ。
僕は、「ハングル会話」を見てしまうことで、絶妙のバランスに保たれた僕のなかのびよらじょーくのアクアリウムが崩壊してしまうことを恐れた。
今は「書ける」と思っていたびよらじょーくが、この番組が終わると、書けなくなってしまっているかもしれない。
まったく、テレビって、なんでいつも、自分の都合だけで勝手に放送時間を決定してしまうのだろう?
僕は、こういうときに切実に思う。こういうときだけではない。いつもだ。
視聴者は視聴者の事情で見たいときに見たいというのに、テレビのほうはそんなことまったくおかまいなしだ。24時間、すべてのチャンネルでやっている番組、みなそうである。
だから、僕はバイオを買って、i-EPEG(だったっけ?)方式で自動デジタル録画した番組を好きなときに自由に再生して見れるようになったとき、小躍りして喜んだのだ。
これで、放送されるときに録画設定することさえ忘れなければ、アナログのテープを交換する手間もなく、画質も落ちることなく、ファイルを開いてクリックひとつで好きなときに好きな番組を見れる。
どうしても生で見たいスポーツやニュースでないならば、テレビとは、本来こうやって見るべきものなのだ、と。
僕は、自由に自分の時間を管理する主体的な視聴者であるべきなのだ。
要するに、僕はバイオを、「パソコン」としてより、むしろ「家電としても使えるパソコン」として買ったのである。
でもそう思っていたら、バイオを買って一月ぐらいしたところで、あっさり入院してしまった。
こうなると分かっていたら、もうちょっとガマンして買わなかったのに。
もっとも、それ以上に、僕は早くデジタル多チャンネル小額決済時代が到来して欲しい。
見たい番組だけダウンロードして、見ない番組のコストは負担しないというのが、僕のイメージする究極の視聴者像だ。
そんなわけで、起床時間からどういう行動をとるか、僕はずいぶん悩んだ。
「ハングル会話」は、日常においてはちょっとしたスパイスだが、今朝においては毒でも薬でもあった。再放送は、夜中なのだ。そこまでして見る気はしない。
でも、結局見ることにした。主な理由は3つ。
阿部美穂子の笑顔のイメージに負けた。
毒は避けるべく工夫して見ればよい、と思い至った。
そしてなにより、結局朝までにびよじょーの世界がかなり形になり、ここまで出来上がっていれば、多少の毒が入ってきてもいずれ近いタイミングで再構築できるだろう、と自分自身が心証を抱いた、というのがそれである。
起床時間になった。すぐに看護婦さんが、朝の検温に来た。さっき外で会った看護婦さんだった。
僕はあいさつした。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
「今起きました。」
「ウソです。」
あまり相手にされなかった。
となりのベッドからか、いびきの音が聞こえた。まだ誰か寝ているようだ。ちょっとめずらしいケースだ。
彼女が言った。
「あら。いびきが聞こえてきますね。」
「僕です。」
「ウソです。」
また相手にしてもらえなかった。検温が終わって、僕はテレビをつけ、「テレビ体操」の終わりの何分間かを、6:40になるまで注意深く見守った。
これまで気がつかなかったが、「ハングル会話」は、オープニングにもよほどインスピレーションを減退させる効果がある。
「アリラン、アリランはにゃほにゃら〜♪」
という、和洋中どうともとりようのない抑揚のないリズムの曲が流れて来た、と思ったら、最初のアニメが終わると、イボンウォンの、これまたリズム感のなさそうな、すけとうだらのような踊りで番組は始まった。
「踊りもレンシュウすれば上手になります!ハングルも、どんどんレンシュウしましょう!」
みたいなことを、しょうもないフリツケでイボンウォンが言った。やれやれ、と僕は思った。
彼は、コメディアンである。
でも、そこにすぐにリュウ・ヒジュンと阿部美穂子が登場してくれた。ホッとした。
阿部美穂子は、今日もニコニコ、明るく楽しく勉強していた。
「ハングル会話」では、その他にメインの舞台の背景がおもしろいと感じた。
イボンウォンが出てくるシーンのほとんどは阿部美穂子も登場しているので、彼が登場している間はなるべく阿部美穂子に集中するようにした。
「ハングル一本勝負!」の前フリは毒だったが、一瞬だったのであまり気にしないですんだ。
スキットはほとんど見なかった。
韓国酒場の時間は長いうえに最悪なので、イヤホンをはずして日記をつけていた。
そうしているうちに番組は終わった。
"LIVE ON KOREA"のコーナーはおもしろい。
先週は38°線の両国国境兵士の人間劇、みたいな映画(今月ぐらいから日本でもやっているらしい。タイトルを知りたい、と思ったが、コーナーの最後でそのタイトルを復唱してくれるだろうと期待していたが、ついにしてくれなかった)の紹介をやっていた。
「北朝鮮側の兵士をこれほどまでに人間らしく表現した作品はこれまでになかった。」 という、リュウ・ヒジュンだったかな?のコメントがあって、僕はすごく観たいと思った。 入院しているのが、惜しいところだ。
今週は、キム・ユンジンなる、米国帰りの女優さんのインタビューだった。
進行役の女の子(すいません。まだ名前、わかんないんです)の、
「彼女にインタビューしていると、どんどんいろんな表情をしていくんです。女優さんなんだな、と思いました。」
という言葉が印象に残った。リュウ・ヒジュンも、去年彼女に会って好感を持った、という趣旨のことを言っていた。
インタビューの間、画面下にでてくる字幕ばかりに注目してしまって、僕は彼女の表情など、ほとんど見ていなかった。
とりあえず、今書きたいと思ったので「びよらじょーく」より先に「のいず」を書いてみた。
8:15である。さっき看護婦さんが朝食を持ってきてくれた。
パンの量は昨日から1枚増えて2枚になったし、マーマレードだけではなく、バターもついてきている。
1皿だけくる野菜スープは、昨日と同様に鳥肉が入って豪華だ。
ヨーグルトもある。今日のフルーツはパイナップルだ。
僕の中のアクアリウムは、やっぱりちょっとかき回された気がする。
朝食を食べてから、どうするか考えることにしよう。
01/05/26
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