2000人のびよりすと

2000人のびよりすと


今日のロシア語もものすごかった。


今日はちゃんと登場人物を把握しよう、と思った。
男の子は「シオダサダヒロこと、サーシャ」、
ボルシチ美女の名前は「オクサーナ」という。
ちょっとデカい男は「デニース」だ。
デニースは、立ち姿が、いかにも腰が悪そうだ。


先週で文字の練習は終わり、今日の「新スタンダード40」は、
「あなたは学生ですか?」
という表現だった。

番組はスキットから入った。
駅の切符売場のシーンである。


あらかじめ言っておいたほうがいいと思うが、これから3つのシーンが連続して出る。

それぞれのシーンで、最初に客がキップを買いに来るシーンでは、売り場を斜めのアングルで見ている。あとの会話はほとんど、全部登場人物が発言するのを、正面から撮影したものである。
つまり、切符売場のオバサンが話すとき、カメラはウィンドウの向こう側の客の視点になり、客が話すときは逆に、売り場のボックスの中から、小さいワクの向こうに客を見るような視点になる。


切符売場のオバサンは、濃い緑色の服を着ていて、黒くて力強い目をしている。
化粧も目立つ。

最初のシーンでは、長くて薄い金髪の若い娘が出て来た。

(斜めからのシーン)
「キップを一枚ください。」

(娘からの視点に切り替わる。オバサンの顔が見える)
「あなたは学生ですか?」

(売り場のオバサンからの視点に切り替わる。ボックスをのぞき込む娘の顔が見える)
「はい。」

(娘からの視点に切り替わる。オバサンの顔が見える)
「身分証明書を見せて下さい。」

(売り場のオバサンからの視点に切り替わる。娘が言う)
「どうぞ。」

(娘の側から見た、開かれた身分証明書が置かれたボックスの向こう側の映像に切り替わる。身分証明書を触るオバサンの手と胸の映像が映る)

(娘からの視点に切り替わる。オバサンの顔が見える。オバサンがキップをだす)
「どうぞ。」


この間、両者とも無表情なのである。
切り換えの間合いがなんとも言えない。昔観た北欧の映画みたいだ。
僕は爆笑した。


次のシーンでは、若い男がキップを買いに来た。もちろん無表情だ。

(斜めからのシーン)
「キップを一枚ください。」

(若い男からの視点に切り替わる。オバサンの顔が見える)
「あなたは学生ですか?」

(オバサンからの視点に切り替わる。ボックスをのぞき込んだ若い男の顔が斜めに映る)
「はい。でも、今日は身分証明書はありません。」

(斜めからのシーンに切り替わる。オバサンは目をむいて、ものすごく怖い表情で言う。)
「身分証明書がないですって?!あなたは学生ではありません!」


僕は大爆笑した。


次のシーンでは、年配の男が来た。斜めのシーンから、すぐにボックスの中からの視点に切り替わった。年配の男が見える)
「キップを一枚ください。私は学生です。身分証明書もあります。」

(最初と同様、開かれた身分証明書が置かれたボックスの向こう側の映像に切り替わる。身分証明書を触るオバサンの手と胸の映像が映る)

斜めからの映像に切り替わり、オバサンは身分証明書を手に持ったまま、驚いた表情で目を見開き、彼を見る。彼は無表情だ。

(ちゃかちゃか、ちゃん♪、とオチの音楽が流れた)


さすが、ロシア語会話!おもしろすぎる。狙っているとしか、思えない。

「身分証明書がないですって?!あなたは学生ではありません!」

なんて、どうして駅の切符売場のオバサンに目をむかれて怖い表情で言われなくてはならないんだ。
身分証明書がないと、学生ではないのか?
いわれた男は、ショックだったろうなぁ。

彼がウソをついていない、としたら、
「僕は学生です。」
と事実を、
「身分証明書は今は持っていません。」
と事実を述べたら、

「あなたは学生ではありません!」

と、目をむかれて断言されてしまうのである。

「おまえはウソつきだ!」

とでも、言わんばかりだ(というか、言ってるよな)。

僕なら、ショックでしばらく寝込む。せっかく病気が良くなって退院できたとしても、もしもロシアの切符売場でそんな目にあわされたりしたら、かわいそうな僕は病気が再発して、きっと現地で緊急入院してしまうだろう。


スキットが終わってちょっと文字練習になり、その直後に、シオダ君が自分の名前をロシア語で書き出した。
看護婦さんが血圧を測りに来たのでイヤホンをはずし、僕はそこで番組を見るのを中断したのだが、その映像だけをチラチラと見ていて、僕はあることが気になった。

あれ?と思っていたら、次に、ちょっと単語練習をしたところで、「デニースのおまかせスキット」のコーナーの準備のためにシオダ君が席を立った。そのときに、また思ったのである。


彼は、よくテレビにお尻を向けるのだ。

ロシア語をホワイトボードに書いていたときもそうだったのだが、この「おまかせスキット」のために席を立つとき、彼は正面に向かって座っていたのだが、彼はこのときも、画面左に消えていこうとするとき、イス左に回して、いちどはっきりお尻を向けてからさらに画面左側を向くべく反転し、それからイスの後ろ側を通って画面左に歩いていったのである。

(舞台出身じゃ、ないのかな?)

僕は、そう思った。舞台俳優なら、とにかくできるだけ客にお尻は向けない、道具の後ろはなるだけ通らない、というのが基本だ(と、聞いたことがあった)。
ホワイトボードのときはそれはセットの関係で仕方がない、と言えば仕方ないが、僕の知識と照らし合わせれば、彼の行動は訓練されていない、不合理な行動だった。


「デニースのおまかせスキット」のコーナーは、

ダー、ダー、ダー、ダ!、ダー、ダ、ダー、ダ!
ダー、ダー、ダー、ダ!、ダー、ダ、ダー、ダ!

という歌で始まる。なんともコメントしようがない。
「ダー」とは、ロシア語で「はい」という意味である。

このコーナーの中で、シオダ君は、自分のことを「俳優だ」と言っていた。
場面的に言って、彼が本当の職業を言う場面であった。
僕はまた、「???」と思った。
やっぱり、俳優なのか。
僕の理解が、おかしいのだろうか?

ま、もっとも、たいした興味の対象でもないので、NHKのホームページに行ってわざわざ確かめよう、という気にもならない。


今日の「ソローキンのロシア文学紹介」のコーナーは、トルストイの「戦争と平和」だった。ソローキン教授は(教授なのかな?)、あいかわらず、暗いセットの中で、ひとりでロシア文学の魅力を独白している。たいした役者だ、と思う。
俳優のシオダ君には悪いが、彼よりぜんぜん魅力的だ。ソローキン氏について知るためになら、NHKのホームページに行く価値はあるだろう。

「オネーギンなしのロシア詩が考えられないように、トルストイなしのロシア文学は考えられません。」
と、彼は言う。

「私をいつも待っていてくれる、訪ねたくなる大きな家のようです。」
彼は、この作品をこう表現していた。今日は、なんだかバーのカウンターのような背景を左側に抱えていた。薄い青や赤に彼の顔が照らされている。
あいかわらず、彼の出てくるシーンはすばらしいインスピレーションの塊だ。

「多くの登場人物の中で、彼だけが高みに登っていきます。」
トルストイのことを彼はそう表現する。

「トルストイは神の位置に立ち、人間たちは蟻のような世界を形成していきます。」
どういう位置に立ってもいいよな。そりゃ、作者の自由だ。

「この作品には2000人の登場人物が出てきます。」
よくわからんが、なんだかスゴイ。さすがトルストイ。
そりゃ、2000人も出てきたら、個別に対応しきれないだろう。神にでもなるしかないよな。
僕も、2000人のびよりすとが出てくるびよらじょーくでも作ってみようか。

他にも、「『戦争と平和』は、多層に分かれた小説です。バッハの音楽です。」
とも彼は言っていた。


つづいて、「ききかじりのおろしあ」のコーナーになった。
富士山の絵がでてきた。音楽も、視聴覚室で見させられた教育番組か、風邪で小学校を休んだときの昼に家のテレビで聞いたような気がする音楽だ。

4人が座っている。デニースは両肘を机についている。いかにも腰が悪そうだ。

「ききかじりのおろしあ、のコーナーです!」
ひとりアップでシオダ君が言う。彼は、ひとりになると、キャラとしていかにも弱い。
ソローキン氏の独白の後だけに、よけいにそう感じるのかもしれない。

今日も前回に続いて、博物館員がハバロフスクだったかの博物館内を紹介していた。
この前のシリーズも、たしかウラジオストクの博物館に入ってたっけ?
まだ見始めたばかりなのだが、とりあえずいつもシベリアの博物館だ。

シベリアの発掘品の紹介のようなことをやっていた。まったくたいくつだった。


どうして、いつも博物館なんだろう?ぜんぜん、「ききかじりの」っぽくないぞ??

番組制作者の中でも、ペレストロイカのころから、情報が更新されていないのではないか?
うまく言えないが、なんとなくそんな気がした。
きっと、彼らの中のロシアの情報、というのが、すでに博物館的なもの、陳列された静的なものばかりなのだ。
だから、博物館ばかりに目が行ってしまうのだろう。
あるいは、動的な話題は今は紹介したくないのかもしれない。

仕方ないのかもしれない。ロシアは、今大変なのだ。ロシアについて今日日「聞きかじる」ことなんて、たいてい明るい話題ではない。
「中央市場は活況です。」というわけにもいかないし、
「シベリア鉄道を利用した物流量が増えています。」というわけにもいかないだろう。
「アエロフロートを乗り継ぐバックパッカーで、深夜のモスクワ空港のベンチは今日も溢れかえっています。」というわけにもいかない気がする。

ちゃんと紹介すると暗い話題ばっかりで、ロシア語会話の視聴者が減ってしまうかもしれない。
そう思ったら、やっぱり今日のロシアの話なんて紹介できないよな。
(ホントに暗ければ、の話だけど)

それでも、せっかくなんだから、アップデートされた話が聞きたい、と思うのであります。


番組の最後も、デニースは肘をついていた。腰の位置も悪い。
あれは、ぜったいに腰痛持ちだ。

なんか、この番組、他の語学番組に比べて、極端に低予算な気がする。
キャスティングもそうだし、ホワイトボードなんかの道具もそう。博物館ばっかりまわっているのも、低予算だからなのかもしれない。音楽もいつ作ったか分からないようなものだし。そこまで注意して観ていたわけではないが、今日のスキットなんか、同じ映像を3つのシーンで使いまわしていたからああいうアングルになったのかもしれない。


それでも、なんだかんだ言っても、僕はこの番組が好きである。

どこが、だろう?
洗練されていないところかな?
素材に抵抗していない、というか。

オクサーナは、特別なことは何もしていないのだけど、魅力的な人だな、と思いました。

01/05/27


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