季節のアクアリウム

季節のアクアリウム


昨日、夜7:00からのNHK教育テレビ「食べ物新世紀」を見ていたら、姉から突然メールが入った。

「美女が」

というタイトルで、開いてみると

「4チャンネルで踊っているよ。」

と書いてあった。なんのことやら分からない。僕の姉は、4チャンネルで美女が踊っているぐらいでいちいちメールをしてくるような人ではない。
でも、どうやら姉が僕にチャンネルを4にすることを推奨しているらしい、ということは分かった。

そのときちょうど、NHK教育テレビの「食べ物新世紀」では、高温殺菌牛乳と低温殺菌牛乳のメリット、デメリットを比較しおわったところで、そのどちらの長所も殺さない新しい殺菌方法の牛乳が、消費者の需要と技術、物流システムの発達により流通に乗りつつある、という話題のクライマックスだった。
この番組は7:40までで、時計はもう7:30をそれなりにすぎていた。この番組を最後まで見てしまおうかとも思ったが、ま、オチはもう見えているし、ということで、とりあえず僕はチャンネルを4チャンネルに切り替えた。

4チャンネルでは、マスクマジシャンが人体切断トリックの秘密を暴露しようというところだった。

(ああ、これだったのか)

前によく、有線のFOXチャンネルでやっていたヤツだ。こんど民放でもやるというようなことを、こないだ友達が送ってくれたTV番組ガイドで読んだ記憶がある。

「美女が踊る。」

というのは、僕と姉の間でのこの番組の代名詞で、要するに、彼女と一緒にこの番組のシリーズを連続で何度か見ていたとき、

「このマジックでこれこれこういうトリックを使うとき、まわりで美女が踊って気をそらします。ホラ。こうして気をそらしている間に、蓋を開け、後ろに脱出します。」

とか、日本語での解説にあるそういうくだりに2人で結構ウケていたので、

"マスクマジシャンがトリックを暴露する=美女が踊る"

という構図が、僕と姉の間では共通の認識として成立してるのだ。
僕と彼女の間には、その他に

「美女が踊るマネをする。」

という「気をそらす」という意味の秘密のシークレットサインもある。

僕は、とりあえずTV番組ガイドでこの番組の終了時間をチェックした。


番組では、とりあえず2つの人体切断マジックの秘密ががマスクマジシャンによって暴露された。

「箱の中で体を折りたたむ。」
「手前側の蓋を閉めてから、後ろ側の蓋を開けて逃げる。」

というのがそのネタだったのだが、眞鍋かをり他が驚嘆していると、そこでまばゆいレーザー光線の当てられた誰もいないはずの透明なカプセルから、突然引田天功が仰々しく生み出されてきた。

「対決!マスクマジシャンと引田天功!」

という構図の番組になる!
というムードで番組が盛り上がり、必要以上に長い時間両者のにらみ合いが続いたところで、宣伝になった。

(これから9:00まで、きっと間延びするのだろうな)

そう思って、僕はテレビの電源を切った。


電源を落としたとき、僕のテレビのプリペイドカードの残り度数は"8"を示していた。このカードは1,000円で1,000度数がついて、10時間使える。60進法でどう考えればいいのかはすぐにピンとはこないが、もうあんまり残り時間がないということだけは分かった。
しかし、そのカードを今使いきるためどこか他のチャンネルを見よう、という気にもならなかった。

僕は翌日朝イチの「NHKロシア語会話」を見る準備のために一度だけテレビの電源を入れて、リモコンの3チャンネルのボタンを押して、ブラウン管が何か主張をはじめようと気になる前にまた一方的に電源を落とした。

夜寝たのは12:00をすぎてからで、今朝起きたのは起床時間の6:30にもうすぐなろうか、というところだった。


起床時間になってしばらくして、僕はとりあえずNHK総合テレビをつけた。「ロシア語会話」を見る前に、残りのカードの度数を使いきってみたい気分だった。"8"という度数がどのぐらいなのかはまだピンとはこなかったが、6:40までに使い切ることもできるような気がした。

NHK総合では、自分の子どもがアトピーで困っているので都会を離れて田舎で暮らし、地域の食材を自分で作って暮らしている、というお父さんが紹介されていた。

(アトピーは、住む場所だよなぁ)

なんか、そんな話を、僕は友達から聞いたことがある。

そのうちに、いつのまにか話題は棚田にいる生き物の話や、そういう生き物に出会う地域の子どもの話題になった。
気がつくと6:39になっていた。NHK総合の画面の6:39という表示をしばらく見つめて、僕はなんとなくころあいか、という印象を持ったときに、チャンネルをNHK教育に切り替えた。

「テレビ体操」は、最後の深呼吸のところだった。よし。バッチリだ。
そう思ったところで、残度数が0になったテレビのプリペイドカードがテレビから出て来た。
僕は、おとといの洗濯のために買ったプリペイドカードを慣れた所作でそこに差し込んだ。おととい300度数、昨日100度数を使っているので、その表示は"600"になっていた。昨日は、最近おきにいりの白のパジャマで昼ゴハンを食べていたときにオムレツのソースが袖についてしまって、ちょっとしたパニックを起こしてしまった。トイレのついででもないのに僕はあわてて洗面台に行って石鹸でパジャマの袖を洗い、そしてすぐに乾燥機にかけた。乾燥機で度数が100減ったから、残りが600だ。


「ロシア語会話」は相変わらずいつもどおりのキャスティングではじまった。教授は薄い黄色のシャツを着ていて、オクサーナは黒で大人の魅力のシックだ。デニースは、今日も緊張感はないがなんだか気合は入っているようなガッツポーズをした。
シオダ君は、今日は白と茶色の皮のジャケットのようなものを着ていた。先週よりは、目立った。

僕は、この番組のことを考えるたびに、コンラート・ローレンツが著書「ソロモンの指輪」の中で書いていたアクアリウムに関する記述の一節を思い出す。

「アクアリウムを作ることの最大の魅力は、作ってみないとどうなるか分からないことだ。同じ場所で同じ生き物を集めてきて同じように水槽に配分したとしても、いくつか作ったアクアリウムはしばらく時間が経つと、まるで何十キロ、何百キロも離れたところにある湖のように、それぞれがぜんぜん違う雰囲気のものに仕上がってしまう。」

ロシア語会話という世界は、本当に不思議なアクアリウムだ。
ここでは、本来主役たるべきかわいいお魚さんのシオダ君はまるで目立たないで、オクサーナ、デニースといった、これまた絶対に主役級ではないはずの、平素なら水底で静かに息をひそめていそうな、例えて言えばハゼやエビのようなキャストの強さばかり目立っている。教授は、こっち側に腹面を見せて水槽の表面を掃除しながらホフク前進している中型のつぶり貝か何かのようだ。
そうしてソローキン氏やウラジミール某、ロシア人文芸人のインタビューみたいな、いわば季節の生き物とでも表現するかのようなものが次々にあらわれて、視聴者の目を楽しませてくれる。

デニースは今日も「80年代にアニメや大衆娯楽ドタバタ劇のオチ前の展開で聞かれたような音楽」に乗って登場してきて、膝を床についてうれしそうにプレートを次々に交換していった。シオダ君は問いに答えて

「当たりぃ?いえーい!」

なんてさわやかに言ったりしていた。


ウラジミール某のコーナーは、今日は花畑と鳥の映像だった。

「ああ猛烈な風が東から吹いた〜〜〜。そして僕の帽子を吹き飛ばした〜〜〜。向こうみずな僕の頭から〜〜〜。」

先週の続きだから、やっぱりまだ夢の中なのだろうな。
何もそんな、帽子を飛ばされたぐらいで、やけくそになって自分を向こうみず扱いまでしないでもいいのに。
君にだって、いいところはあるぞ。黒毛馬だって、いるじゃないか。

ウラジミール某がそこまでをいつもどおり歌ったところで、このコーナーは終わった。
来週「4番」があるらしい。


「聞いてみよう」のコーナーは、親日ロシア人推理小説家アクーニン氏のインタビューだった。
連作の探偵ものなんかがヒットしているらしい。
「アクーニン」というのは、日本語の「悪人」から取ったそうだ。

(「ウイングマン」の「キータクラー」みたいなヤツだ)

そう思ったのは、まあ世の中僕ぐらいなものか。

「でも、私は悪人ではありません。」
と、彼は言う。

「主人公が悪人なのです。」
主人公は事件を解決するほうだろう。悪人ではないのではないか?悪いのは犯人だ。
どういうことなんだろう?

「面白味のない悪人を打ち負かしてもつまりません。」
びよりすとは面白いからいつでも打ち負かす価値がある。
もっとも、たいていの場合は打ち負かすまでもないが。

「ユニークな性格を与えることが大切です。」
サンチみたいに、ということかな?

「悪を働く人の心理を分析したりもします。」
びよりすとなら、分析するまでもない。

その他に、彼はこの世で最もおもしろい国は日本だとか、ポーランド人の書いた浮世絵の本を10才の頃に読んで日本は秘密、謎の多い国だと思ったとか、そんなことも言っていた。

「アクチホールとしては、本はどんどん読みたいです!」
シオダ君が明るくさわやかに微笑みながら言った。目指せ確定申告
でも、今日の番組の最後に彼が見せた絵は、趣向がおもしろかった。


番組が終わって、僕はすぐにテレビの電源を落とした。
テレビのプリペイドカードの残度数は"550"になっていた。

「よっしゃ。ちょうどきっかり、30分だ。」
僕は、そう思って満足した。過不足がなくて、なんだかうれしかった。

そんなこんなで、7:10からの「トムとジェリーとゆかいな仲間」を見るのを、僕はすっかりまた忘れてしまった。


最後に、おたよりの紹介です。
「NHKマニアの友人」さんから。

> なんだかんだ言っても、シオダ君もあのキャラの弱さが笑えて好きです(笑)
> あの番組、毒がないですよね。

彼はなんだか可愛らしいかわいこぶりっ子なところが面白いです。都会のいいとこで生まれ育ったおとこのこ、という感じです。どう成長していくのか観察するのも面白そうです。
でも芸能界に生き残っていけるかどうか。

01/06/17


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