めいきんぐ・おぶ・びよらじょーく "その22 すばらしい一日"

モーツァルトの弦楽四重奏「狩」を聴いていた入院中のある明け方、ふと思いました。
びよりすとが見つからなくて、とりあえず代役を探してきたらどうなるのだろう?

それが、この作品の生まれるきっかけでした。


びよりすとが見つからない場合、最悪なら適当に誰かを連れてきてしまえばいいな。
それで、本番ではびよらを弾いている『フリ』だけさせればいい---

それだけでもびよらじょーくにはなるでしょう。
すぐにそう思ったのですが、びよりすとが『フリ』でごまかす、というネタはもうありふれているし、こんなに平凡な状況で普通に『フリ』だけでいくのは、ひねりが足りなくてつまらないな、と思いました。

でも、そこですぐ、
「じゃあ、連れて来たのが実は本当にびよりすとだったら?」
と思ったのです。

---本当はびよらを弾けるのに、そうとは知られずに、びよらを弾く『フリ』を強制されるびよりすと---

意外性のあるオチになりそうです。
これは、いける!
と思いました。おもしろくなりそうな気がしました。

そんなかわいそうなシチュエーションに陥るびよりすとって、どんななんだろう?
そんなかわいそうなことをしれっと強要するヤツって、どんなやつなんだろう?
「僕はびよらを弾けるんだ。」
と言えないびよりすとって、どんななんだろう?

僕の想像はすぐに膨らんでいきました。
すぐに病院の起床時間になりました。朝の検温が終わると、僕はすぐに書き出しました。


まず、登場キャラの肉づけがされました。
と言っても、2人のイメージが浮かんできただけですけど。

「いいなりになってしまう。」
というところから、
「気の強い女の子と、その子のことが好きなんだけどまともに相手をしてもらえない男の子。」
という構図がまず浮かびました。


女の子は、ひとりっ子タイプ。わがままに育てられて、気が強くて、活発で、ちやほやされている。身長164cmぐらい。肉づきがよくて、気のきいたパーマがかった長い髪をしていて、マセた女友達2,3人と、いつもガムを噛みながらおしゃべりしているような女の子。目が大きくて、鼻が高くて、スタイルもよくて、はっきり言って、モテる。
家庭は...。とりあえず、白人系で、お金持ち。男の子との微妙な対比をつけるために、近い祖先にイタリア系が入っていることにしよう。おばあちゃんは敬謙なカトリックだ。
お父さんの仕事が成功して、この地域に移り住んで来た、とか、そんな感じかな。

男の子の家は...。そう。
お父さんは実直な働き者、おかあさんは、音楽のセンスがそこそこあった。彼は長男で、弟がいる。そのさらに下に妹もいるかもしれない。ヒスパニックの友人が多くて、彼自身もそういう血をひいていて、黒くて固い髪をしている。
そんなに大きな家には住んでいない。裕福ではない、ごく普通の家庭。
おかあさんは音楽が好きだったから、最初の子供である彼にばよりんをやらせた。
だけど、彼は母親のセンスより、むしろ父親の実直さを強く受け継いだ性格をしている。
彼の先生は早い段階で彼の"音楽"を見抜き、適当な時期に彼にばよりんからびよらへの転向を薦めた。
もともと彼もそんなに好きでばよりんをやっていたわけではないから、びよらへの転向へも、特別な抵抗はなかった。
母親はびよらへの転向を嘆いたが、実直な彼は、きっと母を嘆かせまいとして、
「ぼくは本当は前からびよらをやってみたかったんだ。」
なんて、彼の母に言ったに違いない。

彼の家は、中南米移民の色が濃いから、当然カトリックだ。女の子の家もまるでユルいカトリック、ということにして。
ちょうどいいな。微妙な対比がおもしろい。


2人のイメージが浮かんだ舞台はアメリカだった。
どこかの、東海岸の南部にある架空の大都市である。たくさんバスが走っていて、繁華街も大きい。
ほのぼのした雰囲気でまとめたいから、海が近い街、ということにしよう。
ハイスクールから車で20分も行けば、観光地、というほどではないけれど、地元の人が気軽に楽しめるビーチがある。
四季を通して、比較的温暖な地域だ。
いいところだけど、言ってみれば、ちょっとその気になって探せばアメリカのどこにでもあるような平凡な街。

でも、彼らが住んでいるのは、そのちょっと郊外にある、オシャレな住宅街の一角。
いや、男の子の家は、そこからさらにちょっと遠くにある、グレードの下がる地域にしよう。そのほうが、男の子が女の子を追いかけているのだけど、まるで相手にされない、という構図が作りやすくなる。

男の子にとってその女の子は、憧れているけれども永遠に追いつくことのできない、魅惑のマドンナなのだ。


ここまで、一瞬です。

言葉ではなくて、いくつかのイメージ映像の塊として浮かぶのです。
文章にするから長いだけです。

(実際に作品の中で使われる素材はほんのちょっとなのですが、こういうキャラクター作りの深さが、話が動き出してからの役者の動き、セリフまわし、ちょっとした道具の使い方なんかに大きく影響してきます)


彼らの人生劇場は...。
そう。これならもう「ハイスクール」しかないでしょ。

「ビバヒル」みたいなイメージ。ちょっとハイソなハイスクール。

で、学校はプロテスタント系、ということにしよう。
女の子はマリア様より私よ、という感じ。
男の子は、なぜかこの学校にいる、というぐらいでいいか。
校風としては、宗教色はほとんどない。

女の子は学校の成績は普通よりちょい悪いぐらい。男の子は、それより悪い。

当然、男の子と女の子はハイスクールで同じクラス、だね。

ここで、とりあえず書き出してみることにした。
まず、イメージどおりに言葉にしてみる。


「聞いてくれよ、ポール!」


これには、びっくりした。

外の視点から事実だけを冷静に書きあげるつもりだったのだに、キーボードを叩いてみたら、いきなり呼びかけられてしまった。
どうも、男の子のほうが呼びかけたらしい。

どうしてこの書き出しになるのか、自分でもよく分からなかった。

「ポール」なんて、知らないぞ?!

まあいいや。とりあえず、もうちょっと書いてみよう。


しかし、この

「ポール」

なる人物は、何者なのだろう?
既に出演が決まっている2人の登場人物の特徴が、よく引き出されるような人物であるはずだ。
となると、名前からして...。

「生っ粋のアングロサクソン」
これ、なんだろうな。これしか、ないっしょ。

ポールのイメージが湧いた。

背が高くて、細身のいい男。長男で、他に弟がひとり。ひょっとするとふたりいるかもしれない。
金髪、あるいは、ちょっと赤がかった髪の色をしているかも。
きちんとした由緒正しいアングロサクソンの家系で、両親ともにすばらしい人物。父親からは、誇り高く勇気ある男であれ、と、母親からは誰にでもわけへだてなく接するように、と、小さい頃からしつけられてきた。おばあちゃん子だったが、祖母はもういない。彼女からは、人にやさしくすることをおそわってきた。
音楽のことはよく分からないけど、アメフトが好き。ポジションは、ワイドレシーバーぐらいかな?
みんなに好かれる好青年。人気が人気を呼んで、ますます人気者になるタイプ。友達が多くて、勉強も、当然できる。

当然、2人とはクラスメート。男の子には、つきまとわれているような感じ。女の子とはほとんど関係がない。

(何度も言いますけど、こういうのは、考えているんじゃないんです)


ハイスクールで顔をあわせるなり、○○○○はうれしそうな声で僕に話しかけてきた。


この部分は、実はいちばん苦労したところです。
男の子の名前がすんなり決まらなかったのです。
設定上、ヒスパニック系な名前でなくてはならなかったのですが、すぐに思いつきませんでした。

「ホセ」、「ホルヘ」
ぜんぜんダメ。

「ウーゴ」、「マリオ」
設定にあわなすぎ。

「エドワルド」、「マニュエル」
バタくさすぎるし、平凡。

しばらく悩みましたが、とりあえず後回しにしました。他のイメージを書き出すほうが先が先です。

(「ポール」のイメージも次に来る言葉のイメージも完全に固まっていたので、名前以外の部分では、ここでは悩みませんでした)

「ポール!」という呼びかけにたいして、次には「僕」で応えています。
あらあら。気がつけば、すっかりポールの視点になっちゃってます。

どうやら、このじょーくは、男の子からポールが話を聞く、というスタイルになりそうですね。
とりあえず、今はハイスクールですか。
もうちょっと、好きにやらせてみましょう。


「何度デートに誘ってもまるで相手にしれくれなかったきまぐれ屋のパオラが、


この瞬間、女の子の名前は「パオラ」に決まりました。

『「何度デートに誘ってもまるで相手にしれくれなかったきまぐれ屋の』
まで書くと、「パオラ」という名前は自然に書けました。
「まるで相手にしてくれなかったきまぐれ屋の」ときたら、「パオラ」しかいないのだ。理由はない。
あえて言うなら、イメージができあがった時点ですでに彼女の名前は「パオラ」だった、とも言える。

いい名前です。彼女の中に流れるわずかなイタリア系の血が、それとなく名前にも反映されている。きっと、彼女のおばあちゃんがつけた名前なのでしょう。完璧だ。
彼女のイタリア系祖先のルーツまで、見えてきそうな気がします。


『こんどの週末、時間あいてる?』って、むこうから誘ってきてくれたんだ!


『__________________』の部分は、くどくど書こうと思ってはダメ。
手短がいい。このじょーくはスピード感が命だ。

まだ書きはじめですけど、そういう予感がしました。
そのほうが、彼のはしょった感じ、うれしさ、躍動感が伝わってきそうです。
簡単な分だけ、パオラの気まぐれっぽさも伝わってきそうです。

彼のセリフの最後は、もちろん『!』で閉めなくてはならなりません。


ま、他にも2人ぐらい来るっていうし、ダブルデートみたいのだと思うんだけど。」


人間、いい情報からついつい話してしまうしまうものです。
悪い情報は、あとからついてくるようになってしまう。
それに、彼はポールにまず喜びを伝えたいのです。話のテンポとしても、一連の彼のこのセリフは、この順番でなくてはなりません。

(びよりすと君の気持ちになりきってキーを叩いていると自然にこういう順番になった、ということです)

『他にも2人ぐらい来る』
と彼に言わせておくのは、あとで『弦楽四重奏の真似事を』という言葉が出てきたときに、唐突な印象を読者に与えないための配慮です。

彼の期待の大きさを強調し、あとの展開を刺激的にするために、

『ダブルデートみたいのだと思うんだけど。』

というセリフを彼に言わせています。
ポールに話しかけたときの最初の勢いからちょっとトーンダウンしていて、セリフは『!』では終わっていません。
彼も、「どういう風の吹きまわしだろう?」という感じなんでしょうね。でも、とりあえずうれしいみたいです。


ここまで来たところで、最初の書き出しで男の子がいきなり話しかけてきた理由が分かりました。
彼は、もううれしくて、待ちきれなくて出て来たのです。

そして、彼は同時に、「ポールが楽しそうな彼の話を聞く」という切り口がこの作品をいちばんおもしろくするであろう、という予感も僕に与えてくれました。


「そいつは、よかったな。これまで努力した甲斐があったってもんだ。楽しんでこいよ。」
僕はそう言って、彼の幸運を祝福してやった。


ポールは、冷静です。いつもそう。
びよりすと君がパオラのことを好きだということは知っていました。
ポールは素直に、びよりすと君の喜んでいる様子をうれしく思います。

ここらへんで、名前のないままに膨らませられるびよりすと君のイメージの限界に来てしまいました。
そろそろ、男の子にキチンとした名前をつけてあげる時のようです。


びよりすと君にはステキな愛称が欲しい、と、まず僕は思いました。

「ガスコイン」なら「ガッザ」、
「田中健三」なら「タナケン」、
「JR東日本」なら「E電」という具合です。

僕はヒスパニックっぽい名前とその愛称には割と詳しいほうです。
僕はそこでいろいろな友人、ラテン系スポーツ選手なんかの名前と顔を思い出していってみました。

ちょっと聞きなれない名前のほうがいい。でも、愛称はすぐに親しめるものを...。

そう思ってちょっと考えていると、

「サンチ」

と呼ばれていた奴が南米チリのサンチャゴにいたことを思い出しました。彼の本名は、「サンチェス」でした。
僕は、彼のことがあまり好きではありませんでした。

ちょうどいい。こいつをびよりすとにしてしまえ。


「サンチェス...。」


まだ、いまいちです。惜しい。ダメか。

でも、そこでさらに、僕は「サンチス」というサッカー選手がレアル・マドリッドにいたことを思い出しました。

"サンチ"と呼ばれているサンチス君...。

いけそうな気がしました。いい名前です。こんどは気に入りました。
「サンチ」である限り、僕の知っているアイツをびよりすとにしてしまうという目標も、いちおうは達成できています。

僕は空白にしていた名前のところに、"サンチス"と書いて読み返してみました。


ハイスクールで顔をあわせるなり、サンチスはうれしそうな声で僕に話しかけてきた。


なんだか、いい感じです。気に入りました。
彼の名は「サンチス」、愛称は「サンチ」で決定です。


無事に彼の名前も決まった、ということで、ここでイメージをまとめなおして、細かい設定にかかりました。
要するに、具体的に何が起こったのか、しっかり僕がイメージするということです。
作者にも分かっていないようなことは、当然書けません。
考えられるいちばんおもしろいケースというのを、あれこれ想像します。

(もし、ここで当初考えていたのと別のもっとおもしろい展開が思いついて、それが最初描いた人物像、背景としっくりこないようだったら、そのときは最初の設定の方を変更します)

「サンチス」は「パオラ」に誘われて、訳も分からずのこのこと呼び出される。
行ってみると、びよらを渡される。

「持ってるだけでいい。弾かなくていい。」と言われて、「わかった。」と素直に従うサンチス。
その話を後で聞いて、「???」となるポール。

オチは、ポールのセリフ。
「どうして、びよらを弾けるって、言わなかったんだ?」

これで、もうおっけーっぽいですね。とりあえず、このまま行ってみよう。


パオラは音楽なんて、まるで興味ないんだろうな。
たぶんどっかの、彼女の家よりももうちょっとハイソな誰かのお家でやる室内楽を聞く夕べみたいなのに誘われたことがあって、「へぇ」とか思ったのだろう。
で、どんな感じなのか、ちょっと試してみたかっただけだったんだ。

ちょっとヘンな設定だな。だからって、そこまでしないよな普通。
でも、まあいいか。じょーくだし。

他の2人は...
これも、いいかげんでいいや。
適当な友人だろ。どうせチョイ役だし。
(なんとなくイメージは湧いたのですが、ぼんやりしすぎていて書いてもしょうがないので、ここでは省略します)

それで、サンチは週明けに、うれしそうにポールに話をする、と。

おっけーです。イメージがまとまりました。
オチの形まで、ここでいっきに見えました。


週明けの朝、教室で僕は彼と会った。
「おはよう、サンチ。ダブルデートはどうだったかい?」


ポールはあくまで冷静。週末に、チラっとサンチスのことを思い出したぐらいです。
彼がこうして冷静な対応をしてくれていると、オチでの彼の乱れ具合を大きく見せて効果的になりそうです。
いいぞ、ポール。その調子でいてくれよ。

「サンチ」という愛称をポールが使ったことで、ポールとサンチスの良好な関係がそれとなく伝わってくる。
サンチ、ポールへの読者からの好感度も増すでしょう。

「ダブルデートはどうだったかい?」

なんて、ポールもちょっとニクい聞きかたをしますね。ま、それだけ気楽な仲なのでしょう。


僕がそう聞こうとするより早く、彼は自分から得意そうに話しだした。


サンチにとっては、パオラが遊んでくれたなんて、一生にイチドものの夢のようなひととき。まだその余韻が冷めやらない、というところでしょう。

(ここで、タイトルが『すばらしい一日』に決まりました)

ポールに会ったら何て言おう、僕の話を聞いて、ポールは何て言って喜んでくれるだろう、って、そう思うだけで、サンチは昨日の晩から眠れなかったのでしょうね。

いいぞ、サンチ。がんばれ。

(ていうか、ここまでできあがってしまうと、あとはもう、キャラの勝手な動きに任せるしかないんです。あとは作者も、役者が動きやすい様にいろいろな配慮をしながら、その動きをチェックするだけです)


「彼女の家に行ったらね、みんな楽器を持ってきていてさ。僕はそこで、びよらを渡されたんだ。『音は出さなくていいのよ。適当に調子を合わせて、びよらを弾いてるフリだけしていてくれればいいから。』って。どうやら彼女は、弦楽四重奏の真似事を、ちょっとやってみたかっただけみたいだったんだ。」


週末にいったい何があったのか、読者に十分に理解してもらわなくてはなりません。
彼には、まず事実から話してもらって、次に彼自身の見解を述べてもらいました。

「みんな楽器を持ってきているのに、びよらを渡されるべきサンチだけが事情を知らない」
というところも、びよりすとの扱いを貶めるちょっとしたスパイスです。

なるべく簡潔に話してもらったけれども、それでもセリフが長いかなとは思いました。
でも、いっきにまくしたててくれたし、このぐらいでも十分だろうと思いました。
うれしそうに話すサンチの様子を微笑ましく描くことが、あとのオチにむけてとても重要なことです。
小バカにされた扱いのサンチ。でも、彼自身はとても満足しています。

それにしても、
『音は出さなくていいのよ。弾いてるフリだけしていてくれればいいから。』
なんて、パオラもサンチのことをまるでアテにしていない。ひどい扱いだよな。何のために呼んだんだよ。
僕なら、怒ります。
でも、すばらしいセリフです。こんなセリフ、彼女でなければとても言えない。
彼女の演技力にも、拍手です。
サンチのセリフのなかにちょっと出てくるだけなのに、この圧倒的な存在感。やっぱり、ものすごく魅力的な女の子なんでしょうね。

本当のどんでんがえしは、読者にはまだまだナイショ。
読者にとっては、ここまでは、びよらの存在意義、びよりすとの扱いを貶めるだけのありふれたじょーくです。


「君、そのときに、ちゃんと言ったのかい?! 『僕は12才のころからびよらを弾いてるんだ』って!」


先にオチの部分のセリフを確定させました。
ポールのこのセリフが、このじょーくの大どんでんがえし、読者の誰も予想し得なかった、必殺のオチです。

「実はサンチはびよりすとであった。」
という事実を暴露することで、びよらの存在意義、びよりすとの扱いのみならず、びよりすとそのものをも貶めます。


『僕は12才のころからびよらを弾いてるんだ』って!

こういうところでバックボーンが生かされた自然なセリフが出てくるかどうかが、作品に絶妙のリアリティーを持たせ、活き活きした物語にできるかどうかの分かれ目です。
最初のキャラクター作りが重要な意義を持ってきます。

ここでは、2つの部分でけっこう悩みました。


ひとつは、サンチはいったい何才からびよらをはじめたのか、ということです。

サンチがびよらを何才からやっていたか明らかになるこの瞬間は、彼のキャラ、アイデンティティーが露出する数少ない瞬間なのです。

あまり早いとばよりんをはじめた年が不自然になってしまうし、
あまり遅いと、今度は「本当はびよらを弾ける」というオチの威力が削減されてしまいます。

最終的に、7〜8才でばよりん、12才ぐらいでびよらに転向、ということにしました。
「11才」とけっこう迷いましたが、語感で12才にしました。10才だと早すぎる。13才だと、もう論外に遅い。
ばよりんをはじめたのも遅めだった、ということで。
なんらかの事情があって、母親がやらせたかった習い事が、すぐにできなかったのでしょう。

...それにしても、「12才」という年齢をなぜポールが正確に知っていたのか、考えてみるとけっこう不思議ですね。いつも、そう聞かされていたのでしょうか。


もうひとつ悩んだことは、

『僕は○○才のころからびよらを習っているんだ』
『僕は○○才のころからびよらを弾いているんだ』


とではどちらがより優れているか、ということでした。

前のサンチのセリフから『弾く』『弾く』と連続で来ているし、ここでまた『弾く』で行くのも、音感として、ちょっとどんずまりな感じがしてイヤだな、と、最初思いました。

『弾』という漢字自体、ゴツくて、じょーくには頻繁に使いたくない字格好だと思います。
表意文字としては、『習』のほうが字に隙間が多くて、軽いイメージです。

でも、『習っている』よりは、『弾いている』のほうが主体的な言葉です。
ポールは友人として、サンチを理想的で主体的な人物、として扱いたいのです。
そして、ポールにとって、楽器は「人に習う」ものではなくて、「自ら弾く」ものなのです。

2人の人間関係はこの作品の重要なバックボーンだというのに、ここでポールに

「『習っているんだ』って言ったのか?」

なんて言わせてしまうと、ポールのサンチに対する友情が削がれてしまう気がしました。
ヘタをすると、作品全体の雰囲気までを台無しにしてしまうことにもなりかねない。

いろいろ考えましたが、結局ポールの意向を尊重することにしました。


「それで...?」
「言われたとおりに、やったさ。そりゃ、そうだろ?」
「びよらを弾く、『フリ』だけ...?」
「ああ。だって、彼女がそういうから...。」


ここの会話は、オチにむけて最大の集中力を持って書きました。

事情が飲み込めないポール、ポールがどうして素直に喜んでくれないのか分からないサンチス。
この2人のズレ、微妙なカケアイが、この作品の心臓部、オチへの最大のエネルギー瀑布です。

2人の間でどう心理状態が変化していくのか。
特に、ちょっとしたことぐらいでは驚かない冷静なポールが思わず大声を出してしまう、そこにいたるまでの彼の心理を短い会話の中で効果的に演出していくには、どうするのがベストなのか。

いろいろと彼らにセリフを言わせてみて、彼らの呼吸と間合いが生きるように、言葉、句読点、"..."の記号の配列を十分に考え、納得いくまで練り直し、何度も書き直しました。


朝食後には骨格が固まり、全体のバランスを整え、細かい修正を済ませ、その日の昼前にはいちおうの完成をみました。

夕方まで寝かせてみてから最終的なチェックをし、自分のブランドのびよらじょーくとしてふさわしいという確信を持ち、夜までにアップしました。


自分への要求が高い故に、まわりの人に対しても自分の理想の人格であることを無意識に要求してしまうポール。
やさしさすぎる性格故に、かえって自分を大切にすることができないサンチス。
わがままに育てられた故に、人を粗末に扱うことでしか自分を成長させていけないパオラ。

それぞれは、ハイスクールという人生劇場で、それぞれなりのやり方で人とふれあい、経験を積み、そしてちょっとずつ大人になっていきます。

この出来事は、3人それぞれにとって、とても意味のあることだったでしょう。
いつか将来、彼らは、自分たちのハイスクール時代の思い出のひとつとして、このときのことを思い出すかもしれません。

そしてきっと、思うことでしょう。

「びよりすとって、ホント、しょーもねーなー。」

と。

サンチだけは、何か違うことを思うかもしれませんが...。

01/05/28


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