チョコボール食す暁

チョコボール食す暁


今朝もやっぱりほのかに薄暗い朝のイメージだった。目が覚めたのは5時だった。昨日までと同様に夜中にいちど目がさめて、モーツァルトの40番を聴いているうちに、2回目の途中で再び寝てしまった。僕は、起き出してロビーに行った。

ロビーのソファのいつも僕がいる場所には、別の人物がいた。よく朝みかける人かな、と最初思ったが。近づいてみるとSさんだった。
彼は、僕の姿を見るとあわてて自分がいた場所を離れた。
「どうぞ。定位置でしょう。」
と、彼は言った。まあ定位置と言えないこともないし気に入った場所だったが、そこまでされるほどのところでもない。朝の僕の所在は、彼にとっても有名なのか?
そんなことを思ったが、僕はソファのその場所の背もたれの上に座った。


僕は初めて彼と話をした。
こうして見ると、別に彼はむくんでいる風でもない。ただ印象に残らない、それだけのことだった。
彼は僕とはいくらか離れた場所に座っていて、僕から見て手前側にチョコボールとジョッキに入ったコーヒー牛乳風の飲み物、それと日経トレンディを置いていた。

僕にとって興味があったのは、彼がいなくなってから戻ってくるまでどこで何をしていたのか、ということだった。
僕から最初に彼に聞いたのは、そのことだった。

---仕事が片付かなかったから2週間ぐらい外来で様子を見ていたのだけど、結局手術ということになった---

彼の回答はそういうことだった。どこかに消えてしまったわけではなかったのか。
彼は自分の仕事の話をした。

腎臓なんですか?と僕は聞かれた。彼も腎臓だ。
僕は、入院の数日前からのことを手短に話した。

「ずっと腎臓だって、分からなくてね。」
そう彼は話し出した。
「1年ぐらい、足とかときどきむくんだりしていたんだけど、病院に行っても『疲れだろう』って湿布もらったりするぐらいで。いろんな検査もしたんだけど、ひっかからないで見過ごされちゃったみたいだね。」
彼は淡々と話した。無念だ、とかそういう雰囲気ではない。

「入院まで」であとで触れようと思っていたのだが。
僕は横浜市内の病院で検査を受けた翌々日の午後イチにもう今の病院に入院している。
僕の検査結果を見た横浜の病院の先生というのが、たまたま腎臓内科を専門としていたらしい。
「ネフローゼ症候群です。ウチの病院に来る方でも年にひとりかふたり、そのぐらい珍しい病気です。専門の医者が見ないと、検査結果を見ても見過ごされることが多いものです。」
その病院の先生に、僕はそう言われた。ゴールデン・ウィークの初日だった。
先生がすぐに病院を当たってくれたので、専門の診療科を持つ病院に僕はすぐに入院できた。
いろんなタイミングがもうちょっと遅れていたらどうなったかハテサテ、という話だった。

「・・・それで、慢性、から、急性、になったのかな?とにかく分かったときにはもう手遅れでさ。」
「はぁ。」
やりきれない話だと思うのだが、彼は淡々と話した。ゴールデン・ウィークに風邪をこじらせて、それで本格的におかしくなったということだった。

僕は、もうひとつの気になる質問をした。
「で、Sさん、食事制限とかは?」
「ああ。あるよ。タンパクだけ。」
「でも、それ、チョコボール・・・。」
「ああ。これかぁ。まあ、いいでしょう。」

(いいのか)

「・・・その、コーヒーは?」
「いや、ま、飲み物だし。でも、飲み物も飲みすぎるといけないらしいですよね。むくんだりするし。」

(・・・)

続けてSさんが聞いてきた。
「こねさん、外抜け出したりしないんですか?」
「いや、しないす。」
彼はびっくりしたようだった。
「マジメですね。」
「リスクに合わないす。」
別に外に出たいとは思わない、と僕は答えた。
そう言えば昨日、別の患者さんが外出してコンビニで買いものをしてどうのこうの、とかうれしそうに言っていたな。

「気分的には、船旅してるみたいなもんですかね。」
ちょっと考えて僕はそう続けた。
けれども言ってみて、それとも何か違うなと思った。
船旅だったとしたら、院内で、とはいえ、シャバの友達とそんなに連絡をとったり会ったりすることはできない。

「たばこは?」
「吸わないです。」
「ああ、そうですか。たばこを吸う人は、つらいでしょうね。」
「そうでしょうね。」
そうだろうな、と僕は思った。
「僕は、1年前にやめたから今は平気だけど、たばこ吸う人は、それは大変でしょう。病院なんてヒマだし、やることないし。」
「依存症なんて、誰にでもありますしね。」
僕は、自分になぞらえてそう答えた。

僕がなぞらえたのは、僕とパソコンのことだった。
消灯時間には使わない、と自分で決めていたのにこの間つい使ってしまって、ちょっと問題になってしまった。ある意味依存症だし、あるいは今ムリヤリ止めたら禁断症状が出るかもしれない。
もしもまるでキーボードを叩かなくなって外との連絡が取れなくなってしまったら。
病院のすぐ外にインターネットカフェでもあったら、あるいは僕は、いつも脱走してそこに入り浸っているかもしれない。

「ヒマつぶし、何してるんですか?」
あれやこれや、と僕は答えた。
「そうですか。僕は、プレステ持ってきちゃいました。電化製品ダメだって言う話だからどうかな、と思ったんだけど。」
ああ、なるほど、と僕は思った。
「でも、今どき、ね。」
「そうですね。」
僕はそう答えた。

今のほうがいいでしょうとか、彼は僕に言ってきた。
食事の心配もしなくていいとかなんとか。だいたい僕と似たような意見だった。

僕は日記を書きはじめて、彼は日経トレンディを読みはじめた。
日経なんてすっかり遠い言葉になってしまったな、と僕は思った。

日記に最初に登場してきたのは、僕のいる窓から見下ろしてすぐのところにある信号にいる2人の男女だった。
彼らは、もうずっとそこの信号のところで立ち話をしている。何の話をしているのだろう?
Sさんと話をしているときにはその存在しか気にならなかったが、よくよく観察してみると結構不思議だった。彼らは横断歩道の手前にいるのだが、信号が変わっても渡るでもなく、タクシーを待つでもない。
僕の日記には、いくつかの話題が終わるごとに彼らはまだいる。今何時だ、という記録が書かれた。
いつのまにかSさんはいなくなっていた。

結局、6時半になったところで彼らは止まった黄色いタクシーに乗っていった。彼らは、少なくとも30分はそうしていた。
タクシーを待っていたのではないだろう。彼らは横断歩道の駅側にいたが、僕の側から見える2つの横断歩道の右側、つまりもしもタクシーを待つならタクシーが交差点を越えてすぐに止まらなければならない位置にいたし、ずっと彼らがいたのは横断歩道に出た位置ではなくて、歩道の内側だった。
彼らがタクシーに乗ろうという気分になったところを見逃したので、どうして彼らがその時間になってタクシーに乗ることになったのか、詳細は僕には分からずじまいだった。

すぐに、起床時間のアナウンスが鳴った。

Sさんの話を思い出した。人工透析の話だ。

「もらいものだ。」
と、彼は言った。
「透析と入れ歯とかつらは人工ものでなんとかなるから自分は恵まれている。」
というのが彼の説だった。人工透析で生きているからそれでいいのだ、というのが彼の言いたいことだった。
心臓や肝臓についての彼の知見については、僕は何とも言えなかった。

「人工透析している人の話題は明るいよ。」
というようなことを彼は言った。
透析中にどこそこのラーメンはウマい、とかそんな話をしていると、彼は興味深げに話した。
逆説的なおもしろさがあるのだろうが、おそらく彼の持つであろうほどの実感を感じられなかった。

「寝れてます?」
僕はSさんに聞かれた。夜寝れないより透析中に寝てるほうがいいです、と彼は僕に言った。

CDプレーヤーを持って来ていたのだが、ぜんぜん聴く機会がなかった。フランス語会話までもう時間もないし、いまさら何か聴く気にもならない。
僕は、ソファと窓の間にある空調から聞こえてくる連続して冷気が送られてくる音を聴きながら外を見ていた。
20フィートコンテナを積んだシャーシーが走っていった。スチールパイプを積んだトラックが走っていった。スチールパイプは荷台からはみ出していて、後ろの部分に赤いリボンがしてあった。信号が変わって、清掃車が右に折れて街道を走っていった。

ニワトリが鳴く声がした。

(ニワトリ?)

僕は、その声が聞こえた方向を向いてみた。何も見えなかった。

(ニワトリの声が聞こえるのか。どうしてだろう?どこから?ここは7階で、防音も施してあるはずなのに。)

ちょっと疑問には思ったが、今どうにかしたいほどでもなかった。
フランス語会話のほうが重要だった。僕は、部屋に戻った。

01/07/05

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