ドメスティックに売店

ドメスティックに売店


「こねさん、行っちゃいます?」
カーテンを開けて、Tさんが声をかけてきた。まだ9:30だ。
「あ、いいすよ。」
僕に異存はなかった。

今日はレントゲン検査があった。また外界だ。こんなに早い時間にお迎えが来るとは。たいてい午後なのだが。

「混んでますかね?」
「さー。あんまり混んではなさそうだったけど。」
彼女は分からない、といった様子だった。

待ち時間が長いと退屈だな。何か時間潰しになるものが欲しいな、と思ったところで、昨日書ききった2冊目の日記帳が目に止まった。6月1日からのものだ。

(ちょうどいい。こんな機会でもなければ、日記なんて読み返すものではない)

僕はそれを手に取って、とりあえず手元にあった小銭をいくらかパジャマのポケットに入れると、彼女の用意した車イスに乗せてもらった。

エレベーターを降りて隣の病棟に続く道を進む。
今日は暑いらしい。33℃になる、と彼女は言った。
いつもながらに感じる湿気と汗の臭いに、今日の僕はイタリアで出会ったサッカーバカのことを思い出した。彼から、おそらくパルマかトリノのホテルで嗅いだ臭いだ。
要するに、汗臭さだった。彼のもう捨てようとしていたジャージか何かの臭いだ。

「洗濯なんか、せん。持ってきたモンは、全部捨てて帰る。」
彼はそんなようなことを言っていた。ポリシーらしい。トランクに入れて持って来たボロい衣類は臭くなったところで順番に捨てていき、その空いたスペースに購入した土産物を詰めて帰る。彼の合理的蹴球行脚様式のようだった。
今度の木曜日、彼が大阪から来る。キリンカップサッカーを見るためだ。いや、キリンカップサッカーを見るためではない。パラグアイ-ユーゴスラビアを観戦するためだ。ヤツはそういう男だ。パラグアイ-ユーゴスラビアでなければ、彼がわざわざ東京くんだりまで来るかどうかはあやしい。

まあ、思い出されたのが彼の記憶だったというのはたまたまカレントな話題だったからというのもあるだろうが。

(あいかわらずこの空間には、ドメスティックな気分にはなれん)

僕は、隣の病棟までの通路空間を進んでいるときに、そう思った。


受付が終わってX線検査室までさくさくと進んでいった。

(こうしてヘルパーさんに車イスを押してもらう、というのは、きっと犬が飼い主に散歩につれていってもらうのに気分が似ているのだろうな)

僕は、外界で車イスを押してもらってどんどん進んでいるときにいつもそう思う。
えへん、どうだ、と言わんばかりの気分だ。

待たされるかと思っていたら、Tさんが車イスを検査室の前でポジショニングしようとしたところですぐに検査室から呼び出された。
僕はすぐに中に入った。

パジャマの上を脱いで、まず正面からの写真を撮った。
X線撮影用のプレートに胸を当てて、手を横のレバーに置く。

「できるだけ、レバーの下のほうを持って下さい。」
そう言われて手の位置を下に降ろしていったのだが。
後背筋を絞って下に引き付ける感覚はなくて、手の位置だけが虚しく落ちていった。

検査の人は手早く金属製のドアの向こうに行って、ボタンを押して帰って来た。
同じ要領で、今度は横からの写真を撮った。
今度は上にバルブのようなものが用意されて、タロットの「吊られた男」のようにぶら下がった。
今度も、検査の人は手早く写真を撮った。
「写真は後でこちらからお送りします。」
そう言われて、僕は車イスで外に出た。

むしろ、Tさんが他の用件をついでにこなして戻ってくるまでの間に待ち時間が出来た。
僕は、6月1日の日記を読んだ。

6月1日(金)晴れ。63.35kg。

体重は安定している。いい天気だ。起きたのは1:28だった。びっくりした。ミンザイを21:30すぐに飲んだのだ。次に時計をみたときは2:18ぐらいだったが、それまでに看護婦さんがナースコールで呼ばれて入って来たのをはっきり見た記憶もある。


中国語会話を見て浅川稚広とアンディ・ライにシビれた、とか、ゴハン食べている間に書きたいものがある、とか、看護婦さんが電顕と検便とを勘違いしたために女医さんが飛んで来た、とか、そんなことが書いてあった。
検査の結果がまだでない。はっきりしない気分で困る。入院生活を社会的に支障なく営むのに重要な用件は何か、そんなことについて長々と書かれているところまで読んだところで、Tさんが来た。

Tさんは入院棟への合流口で待たせておいたもうひとりの車イスの患者さんと、2人を同時にひっぱって通路空間を歩いていった。

「Sさん、なんだか犬の散歩のアルバイトの人みたいですね。」

僕は、Tさんにそういってみた。

「え?なんで、Sさんなの?」
彼女はびっくりしてそう言った。僕は、あ、しまった。と思った。彼女はTさんだ。Sさんではない。

「あ、ごめん。Tさん。Sさんとさ、間違えちゃった。」
「はぁ。どうして?」
「ふたりとも、Sではじまるからさ。」
Tさんも名字はSではじまる。ここでは便宜的にTさんと呼んでいるだけだ。彼女はせっかくSさんより先にこのサイトで大活躍したのに、そのときには「ヘルパーさん」という呼ばれ方に留まってしまった。その後、一度は書いたが結局一般公開することのなかった「エレベーター」という話の中で実は一度Sさんと呼ばれていたのだが、後から今のSさんがフランスのハムの話をしてきたときに、「公開してないほうを修正してしまえ」と、溯ってTさんにされてしまった、という事情が彼女にはあった。
もしも彼女のほうが「あなろぐのいず」で表立ってイニシャルで登場する機会が先立ったとしたら、いまごろ今のSさんには違う名前がついていたことだろう。

「そうなのよね。アタシ、なんだかよくSさんと間違われるのよね。ホラ、もうひとりのオバチャン、いるじゃない。」
AさんでもSさんでもない、僕にもあんまりよく分からないあの人のことだな。

「あの人も、さぁ。アタシのこと呼びかけるとき、『あ、ス、っっっっっっっっっっっSさん!』って呼んでくるのよ。」
うーん、なんとなく、わかる、と、僕は思った。

エレベーターの前で、僕はちょっとリクエストした。
「Tさん、上に行ったあと、またすぐ戻ってくるんでしょ?」
「あ、うん。すぐ戻ってくるわよ。」
「そしたら、さあ。僕売店行ってるからさ。その帰りに拾っていってよ。ちょっと買物したいんだ。」
「あ、いいわよ。」
彼女はエレベーターの横の売店まで僕を運んでくれた。僕はそこで車イスを降りた。

売店に入ろうとしたところで、僕は気がついた。
「あ、Tさん。僕、マスクしてないよ。」
感染症が怖いから、外出どころか、部屋から出るときもマスクはしろ、という先生の話だった。
いまさらという気もしたが、やっぱり無いのも気分的にどうか、というところだ。
「ああ。あらあら。じゃ、持って来てあげるわ。」
彼女はそう言いながら、エレベーターのほうに戻っていった。

売店には、結局買いたいものは見出せなかった。
最初スポーツ新聞の見出しをいろいろ見てみたが、考えれば今週末はTOTOはなかった。
売店の雑誌をどれか買おうかとも思ったが、特別欲しいものもなかった。
「ビッグコミック」だけはどうしようかと思ったが、「ゴルゴ13」の長編が載っているのはいいのだが、何故か「イーグル」が落ちている。僕の知らない間に連載が終わってしまったのだろうか?
「ゴルゴ13」だけなら何かの機会に単行本を読めばいいことだ。次号も読むという保障もないのに話が途中で終わってしまうのも僕の中ではいただけなかった。

売店にあるもので、他に特筆すべきものはなかった。病人雑貨は揃っていたし、あとは食品だった。
ここには「食品交換表」という食事療養が必要な人のための食材成分絵解きデータベースみたいなのが売っている。これには前から着目していたのだが、当面取り組むつもりもないし、ちょっと高価で、手元の小銭で買えるようなものでもなかった。

僕は、車イスに戻って日記のつづきを読んだ。

6月2日(土)63.53kg。はれ。

体重は安定したな。珍しくボールペンで書いている。シャープだと思って持って来てしまったからだ。

ハングル会話の"LIVE ON KOREA"でやった映画は"JSA"というタイトルだった。点滴は10:00から14:00までかかった。電顕の写真があがってきた。要するに「医者として興味深い写真だ」ということを言われた。ちょっと変わった状態らしい。「どういうわけだかこっちも悩んでいる、大げさなカンファレンスを開いて人数をかけてこの写真に撮られたものについて検討したい」と言われた。また宙ぶらりんだ。こういう風に何も分からないままなのは、精神的にけっこうキツい。


そんなところまで読んだところで、Tさんが別の患者さんの車イスを押して帰って来た。
「はい。こねさん。」
彼女は僕にマスクを渡してくれた。僕はそのマスクをした。

エレベーターはすぐに来た。

01/06/25

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