ニューデリーは40℃

ニューデリーは40℃


目が覚めたのは6時過ぎだった。
しばらくどうしようかと思っていたのだが、起き出して部屋の外に出た。
ロビーの窓の向こうは曇っていた。なんだか寒そうな感じなんだけど、本当のところどうなのかは僕にはもちろん分からない。

窓の向こうの天気のことは、目で見えること意外は何も分からない。
窓ガラスとテレビの画面の違いはどこにあるんだろうかなんてことも、ちょっと前まではよく考えていた。
「東京は38℃。」というのと、
「ニューデリーは40℃」というのの違いは、ディスプレイを通してしか情報を得られない僕にとってはたいして大きくはなかった。
いい天気で気持ちが良さそうだなんて思ってると、「とにかく暑い」なんていうメールが来たりする。
「この暑さに苦しまないで済むんだから、ある意味君は幸せ者だ。」
なんて言われ方もされる。直接会う人にも、やはりそう言われる。

正直、外のことは何も分からない。外からもそれはそうなのだろう。
事情によればちょっとぐらいなら自力でフロアの外に出てもよいということにやっと最近なったのだが、治療効果がはっきりしなくて、「あるいは僕は一生ここにいるのではないだろうか。」なんてことすら思っていたころには、もう外で起こっていることに興味すら感じなくなっていた時期もあった。

水槽の中のおさかなさんのような気分になることがある。水槽の水の状態はいちおう見えるし、温度計もついている。観察レポートはまめにHPにアップされている。試しに水槽を叩いてみれば、何かの反応が返ってくることも期待できるだろう。
それでも、水槽の中の水と外の空気には圧倒的な違いがある。外の天気と同様に、外の人に何が起こっているのかも、きっと僕には分かっていない。

「こねのHPは、まるでこねがすばらしい人物であるかのようだ。」
そんなようなことをこのあいだ友人に言われた。僕としては不本意だった。
きちんと穿った切り口で見ればそうは読めないはずなのに。
なるべく未消化な気分を吐き出したり、解決しない物語をしたりはしないように気をつけているだけだ。切り口にも気をつけている。書きたくないことは書いてない、不利な情報は流さないようにしている。そんなところだ。
でもそう考えると、水槽の中のおさかなさんというのもちょっと違うか、とも思う。
結局自分に都合よく解釈しているだけか。


なんてことを考えながら、窓の外を見ていた。
昨日の夜最後に見たときにはやっていなかったはずなのに、眼下の交差点ではやっぱり昨晩も工事があったようで、街道のアスファルトの信号の部分の両端には仮にひかれた横断歩道の細い白線が並んでいて、向こう側のほうの内側の道では、安全第一の柵を回収しながら一台の小型トラックが次第に後退しているところだった。

すぐに起床時間のアナウンスが鳴った。

(6:30になっても撤収が終わっていないとは、珍しいな)

そんなことを、僕は思った。

01/07/19


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